今日からはこの著者である内海医師が考えている精神症状に対する対処法です。
著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。
もう一歩踏み込んだ薬以外の対処法
本書では繰り返し、精神薬では根本的に何も解決しないことを述べてきた。
ではどうするのかという方法論は、いくつか提示しておかねばならないだろうと思う。
昔から精神修行という言葉はあったが、現在では何を指して言うのか定かではない。現代社会では宗教色の強い古代と違って、望めばだれでも修行と称したビジネスプラン(たとえば体験の護摩行とか、断食修行を兼ねた宿泊プランなどはこれに当たろう)に参加できるからだ。
しかし、ビジネスプランだからといって軽蔑する必要はない。少なくとも精神薬で考える力をなくすよりは相当良かろうと思う。
しょせん精神的な症状とはメンタルの強さ弱きに起因するものが大半である。これまでに述べてきたように精神的症状が病気であり、科学的な疾患であるという論理はすでに崩壊している。修養や努力が結果を生み、失敗を続けても継続していくことでこそ自信が生まれ、はじめて精神症状を克服できるのである。修行や修養と称されるものは、人々のしようもないプライドも夢物語も一網打尽にうち砕いてくれる。
少なくとも現在の精神科にかかっている人のうち、九割はこういう修養とか鍛えることが「もしできれば」良くなるといえる。
あとはやるかやらないかだけだ。やらないということは病気ではない。それは単なる逃 げにすぎないし、逃げたい人は逃げていっこうに構わぬのである。
現代において厳しいことを勧める人間とは、患者さんの苦しみを理解しない“人でなし〞であるらしい。しかし、しのぎ合いの中にしか、人間の成長も精神症状からの卒業もありえはしない。それを正直に指摘できない現代社会にこそ問題があるのではなかろうか。
注目すべきは精神薬の禁断症状に苦しんだ人たちの成長である。精神薬を抜くということは覚醒剤や麻薬を抜くことと同義であり、それを成し遂げるには相当の根性と知識を要する。つまり精神薬と闘うことはそのまま修行になっていて、それを成し終えた患者たちはちょっとしたことでは動じない。「あの禁断症状に比べれば、こんなこと楽勝」と考えることができる。これは修行が厳しければ厳しいほど精神症状が改善する理由と符合する。
修行というと、一般的イメージとしては滝打ちや座禅などが思い浮かぶ。仏教色は強い が私は悪くないと思う。護摩行でもいいがこれは相当きついらしいので、もはや修養などと呼べるレベルではないだろう。
そのほかに精神的な症状への対処法としては次のようなことが挙げられる。
◎登山やマラソン
登山やマラソンはいろんな意味で効果があると思う。これらが流行っているというのは、日本人全体が精神的な病前状態であり、かつそれを克服するために、自分たち自身で取り組もうとしている表れでもあるのではないか。
こういうことをしている人で、精神科にかかった人を今のところあまり見たことがない。逆に言えば治療が難しいと思われる患者さんで、あらかじめこういうことをしてきたという人を見たことがない。
◎太極拳やヨガ
もう少し軽いものだと太極拳やヨガなどがあり、これは心療内科の教科書に載っているくらいである。呼吸法なども腹式呼吸が基本で、丹田を重視するよう教えられるので、病前治療としても大いに役立つはずと思う。腹式呼吸は精神症状を良くする上での基本中の基本である。
こういうことをやっている人は、どこが痛いとかどこが凝るなどとも言わないし、痛くでもそれが自然であることを理解できる。そしてそんな訴えで病院に来るような人間にはならない。
◎断食
断食も一定の効果があるらしい。効果がある理由として、腸内細菌叢を一掃するからではないかという意見もあるが、本当かどうかは定かではない。ただ経験者によると、一つの壁を超える感覚があるらしい。これも苦痛を乗り越える経験を身につけたからこそ、種々の精神的症状に対処することができるのだろう。
◎教育
教育というのは最大の修行である。誤解を恐れず言えば、幼少期で勝負が決まっているといっても過言ではない。厳しすぎてもダメだし優しすぎてもダメだし、ここは私にもわ からない。
ただ難しい患者さんの親をみていてわかることは、おとなしくて手がかからない子どもにコミュニケーションの訓練などを教えた経歴がほとんどないということである。患者が親の育て方が悪いと恨む理由の筆頭である。人の中に入りたがらないのをそのままにしておいて、後でどうしようもなくなったときに親があわてて精神科に連れて行くといった具合である。
以上、抜粋終わり
内海先生がおしゃる通り、
精神的症状はメンタルの強弱に関係していると、
私も考えている。
現代はストレス社会と言われているが、
確かに戦前よりも、
日常的なスピードは慌ただしくなっていると思われる。
そのため日常的な精神にかかる負担は、
戦前よりも大きいかもしれない。
しかし利便性も戦前よりはるかに上がっている。
また高度経済成長時の労働環境に比べれば、
労働時間に関していえば、
ずっと少なくなっていると思われる
ただその頃に比べれば、
労働=賃金アップということはなくなってしまった。
つまり努力しても報われなくなってしまった労働環境に問題があると考えている。
報われないのだから、
精神をすり減らすだけで、
ストレスが増えていく一方である。
併せて、
現在の食べものは栄養価が低く、
また添加物まみれの食品ばかりを摂取しているので、
耐ストレス性も下がっている。
このような環境下では、
精神的におかしくなってしまう人が増えても、
当然かもしれない。
しかし、だからこそ勉強と自己管理が大切なのである。
残念ながら、
ほとんどの方は社会的なマインドコントロールにはまってしまっている。
自分がマインドコントロールされていることすら気付かない。
それゆえジワジワと病気になる方向へと緩慢に向かわされていることすらわからない。
この状況から脱するには、
まずは自分が社会的なマインドコントロール下にあるということを知らなければならない。
社会的なマインドコントロールとは、
いたるところにあるのだが、
たとえば精神科に行けば病気は治る。
薬を飲めば病気は治る。
というような常識的になっていることである。
本当にそれは正しいのか?
精神疾患とは本当に病気なのか?
薬は本当に病気を治すものなのか?
きちんと情報を取り、
勉強すれば、
素人でもわかるはずである。
しかし現代人は往々にして、
自分からは考えようとしない。
だから知らないうちに、
マインドコントロールをかけられてしまってもわからないのである。
そうならないためにも、
まずは自分で考えるというところから、
始めないといけない。
いくつか対処法を示されているが、
マラソンや登山はお勧めである。
私もどちらも実践しているので、
いかに心身に良いかを把握しているつもりである。
マラソンは距離が長くなればなるほど、
精神修行ようになってくる。
つまり肉体の限界を超えると、
自分自身との戦いとなり、
精神をいかにコントロールするかが、
完走できるかどうかの決め手になるからだ。
また汗もかなり出るので、
デトックス効果も高いと思われる。
登山にしてもハードな登山なら同じかもしれない。
しかし、これらを精神症状のためにされるのなら、
最初は程々にされるこをお勧めする。
あまりハードにやると体を壊してしまうからだ。
また太極拳やヨガも体に良いが、
特に太極拳は日本では年寄りがやるイメージがあるが、
ゆっくりした動きながら、
実はかなりハードな動作である。
それは見た目は静の部分だが、
動きの中に動の部分があり、
これがかなりキツイのだ。
私も昔中国で習ったことがあるので、
そのキツさを知っている。
ヨガも少しかじったことがあるが、
これもハードである。
つまり、なめてかかるとしんどい思いをするよと言いたいわけである。
どちらも精神修養なので、
簡単なように見えるが、
奥が深く、
大変面白い。
長くお付き合いする気持ちが必要である。
断食は最近勉強して知ったのだが、
デトックス効果が高く、
かなりいろんな病気にも良いようだ。
わたしは根性がなく、
食い意地がはっているため、
正直この断食が一番苦手である。
しかし、もし自分が難しい病気になったなら、
真っ先に断食を取り入れるだろう。
マラソン、登山、太極拳、ヨガ、断食、どれも素晴らしい方法である。
上記の方法は病気でない方も、
是非、健康のために、
日常に取り入れてもらいたいものである。
もしこのうちのどれかをされるなら、
是非楽しみながら無理なく始めていただきたい。
何事も楽しみがなければ、
続かないからだ。
そして病気と無縁の心身へと近づかれることを、
切望している。