今回は当事者家族や当事者に近い人間としての考え方というテーマでお伝えします。
著書『心の病に薬はいらない!』から下記抜粋します。
あなたの大切な人を薬害から救うための心構え
最も重要なことは、薬を飲んでいる患者、飲まされている当事者が一番正しいのだということを理解できるかどうかでしょう。他にも考えるべきことはたくさんあるのですが、これを提示するだけで多くの家族や周囲の人間たちは、不平不満を述べることが多いです。実際に、当事者によって家族に迷惑と思われること、悪いケースとしては家族に暴力をふるうなども散見されます。それなのにこのようなことを考えられるはずもない、というのが正直なところでしょう。
また、ある程度理解できたとしても悪いのは処方した精神科医ではないか、と考える人は少なくありません。もちろん一番悪いのは精神科医であること、これは私も認めますが、それを逃げ道にすることはよくありません。なぜなら、家族や周囲の人間が抱えている深層心理に気づくことができないからです。
当事者が自ら精神科に受診することと、たとえよかれと思っても家族が精神科を受診させることはまったく意味が違います。当事者が自ら精神科の門をたたき、自ら通いたがる人の場合は第6章のような考え方が芽生えないかぎり、決して向精神薬をやめることはできないでしょう。
それに比して家族によって連れて行かれた当事者、家族によっておかしいと決められ受診を勧められた当事者はまったく質が違います。そのようなケースの場合、ほとんどが自分は薬を飲まず他人に薬を飲ませ、当事者をコントロールすることを意識しています。薬物を飲ませて人の心を解決しようという発想は、それがどれほどの問題行動であれ、周囲の思いやりからきているのであれ、それは支配にすぎず虐待であることを認識できなければ、物事が先に進むことはないのです。
これは薬物をどのようにして抜くかという具体的手法以前の問題です。本当に心配している家族なら、元々精神科になど受診させはしないものなのです。この意見は当事者の中では根強いですが、家族会を主として、彼らにとっては自分たちの正当性が崩れるため決して認めることはありません。
もしあなたが家族や周囲の人間であり、本当に当事者から薬を抜きたいと思うのなら、家族会と同様の感覚を捨てることから始めることです。本当に家族が勉強して、世界背景も人間とは何かも理解しようと努力し、そして家族愛があるというのなら、「そのような結果」には決して陥らないのです。
もし当事者が家族を恨んでいるのなら、どんなにうまく向精神薬を抜いたところで意味はありません。必ずどこかの時点で家族に襲いかかります。暴力をふるったり、暴言を吐いたりするということです。それはそうすべき理由があるからで、当たり前であることを家族が理解しないかぎり消えることはありません。
まず、なぜ当事者の精神がそうなったのか、原因を考えてください。そしてそれを取り除くためには何をすればいいかを考えてください。目先の行動に左右されてはいけません。どのような行動、どのような症状にも理由が存在するのですから。
大切な人を本当に思うなら・・・
次に強い禁断症状が当事者に出たと仮定します。薬剤性であれば時間が経てば必ず落ち着きますが、どれくらいの期間になるのか通常わかりません。1日2日でだいぶ落ち着く人もいますし、2カ月3カ月似たような症状が続くこともあります。
それに対してあらかじめ対処してあげよう、薬を抜くまで決して誰にも頼らないという意識がないのなら、最初から家族が向精神薬を抜くことなどやめるべきです。もちろんその間の対処は大変でしょうが、本当に家族を愛しているなら不可能ではないはずです。
私はもし家族がこのようになったら、山奥の別荘でも借りて一緒に住みます。仕事は必要ならもちろん辞め、有給休暇があるなら3カ月くらいの休みをもらい、借金をしてでもやります。
しかし私は患者さんにはこんなことはしません。これをやる資格、責任、義務があるのは家族や伴侶以外にはないからです。
「私たちは真面目です」とか「私たちは本気です」という言葉を、家族はよく並べます。 しかし私はその人たちが本当に「真面目」だとか、「本気」だと思ったことはほとんどありません。そもそも本気であればそのような状況にはなっていないはずですし、質問する前に薬のことも精神疾患のことも、自分で調べることが可能な世の中なのです。
たとえばあなたに3歳の子どもがいるとして、その子が白血病になったとき、親や家族は何をするかという問いに家族がどう答えるかです。本当に本気の親なら、抗がん剤などというものはすべて丸暗記していて当たり前です。もちろん専門職であろうとなかろうと関係ありません。
3歳の子どもが無菌室で苦しい目にあっているのに、薬の知識もなく医師に丸投げしている親が親と呼べるでしょうか?
もちろん本気の親であれば、どこの病院が優れた抗がん剤の成績を出しているかも徹底的に調べますし、そもそも3歳の子どもに抗がん剤を投与して本当にいいのかどうかを調べるでしょう。そこには専門家を信じようなどという発想は存在しません。専門家は利用すべき存在であり、3歳の無力な子どもを守る人間は、親でしかないことを自覚しているのです。専門家とやらを自称する輩が、本当に専門家かどうか常に見極めようとします。
しかし精神科や薬害問題の場合、同じ行動をとる人間はほとんど見られません。「私たちは専門家じゃないのでわからない」「私たちは専門家の先生に頼るしかない」。それが被害を拡大させたことも、その状況をまねいたことも自覚しないのです。
ですからもしあなたが本気で当事者を助けたいというのなら、自分の中に巣食っているこれらの観念をすべて自覚して捨ててください。繰り返しますがそこに微塵でも正当化が入るなら、最初から向精神薬を抜こうとすることなどやめることです。
以上、抜粋終わり
断薬の道は決して楽ではありません。
強い意志の力が必要です。
上記はそのための参考にしてください。