うつ病からの脱出ーこれは病気ではない 2ー

今日は第2弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

「昔はADHDなんて言わなかった。子どもって言ったんだ」
 もう一つADHD(注意欠陥多動性障害)という概念がある。この概念が発達障害に属するのかどうかは意見が分かれるところだが、ADHDの概念のほうがより詐欺的で被害が大きいようである。
 ADHDの詳しい知識は成書に譲るが、ひと言でいえば不注意で片付けが下手で思いつきで行動するということである。
 これが特に子どもの病名として使われるということはいったい何を意味するのか?
 アメリカのある良心的精神科医は、ADHDについて次のように嘆いたといわれる。
「昔は注意欠陥多動性障害(ADHD)なんて言葉は使わなかった。子どもって言ってたんだよ」
 子どものいったい何割が不注意でないというのか?
 片付けが上手か下手かはしつけによってまずは規定されるもので、十分なしつけによっても片付けられない子どもはごく少数であろう。思いつきで行動するなど夢多き子どもの最たるものであろう。もっといえば、子どもも片付けができないといけないとする発想そのものが、すでに固定観念の極みである。
 であるとすればこの定義は何なのか?この定義は病人を増やしたい精神医療界側の思惑と、ろくな教育もしないで子どもに責任を押し付けようとする親側の思惑が、一気に合致した結果といえる。子どもは何も知らずにだまされた被害者、であるからこそ私はこの診断名が詐欺以外の何物でもないといえるのだ。

ADHD治療薬は、ほとんど覚醒剤
 そしてADHDの場合、さらに問題となるのが薬の問題である。
 ADHDでは専用の治療薬としてストラテラとコンサータという薬が承認されている。ADHDは集中力がないのでこれらの薬で集中力を高めようというのがお題目だ。
 しかしこれらは本当に覚醒剤そのもののような薬であり、とてもじゃないが子どもに飲ませられるような代物ではない。海外では多くの注意喚起がなされているが、精神科医たちはすべて無視しているのが現状である。
 たとえばストラテラの場合、各国政府機関による響告として以下のようなものがある。
【二〇〇五年】
二月・・・英国医薬品庁は、ストラテラが肝障害を引き起こす危険性について通知した。
八月・・・欧州医薬品審査庁医薬品委員会は、パキシルなどの抗うつ剤やADHD治療薬のストラテラが、自殺未遂、自殺念慮、攻撃性、敵意、反抗的行動、怒りを引き起こすとして、子どもの抗うつ剤服用に対して、それまでで最も強い警告を発行した。
九月・・・FDA(アメリカ食品医薬品局)は、ストラテラに対し、服用している子どもや若者に自殺念感の危険性が増大するという枠組み警告表示などの改訂を、イーライ・リリー株式会社に指示した。
九月・・・カナダ保健省は、ストラテラが自傷行為のリスクを含む行動と感情の変化を引き起こす可能性について医療関係者に通知した。
【二〇〇六年】
二月・・・FDA諮問委員会は、ADHDに対する中枢神経興奮剤について、心臓発作や脳梗塞、突然死を引き起こす可能性があるとして、パッケージに今までで最も強い「ブラックボックス」警告を記載するよう要請した。
二月・・・英国医薬品庁は、ストラテラが、発作や鼓動間隔を長くする潜在的な危険性と関係があることを報告した。また、ストラテラをプロザックやパキシルのような抗うつ剤と併用した場合に、心臓のトラブルを引き起こす可能性についても警告した。
五月・・・カナダ保健省は、「ADHDLの治療薬として処方されたすべての治療薬(ストラテラを含む)に対して、まれに突然死を含む心臓病の危険性があるという新たな警告を発行した。この公的な注意書きでは、中枢神経興奮剤が心拍数と血圧を上げ、その結果「心不全や心臓発作、突然死」を引き起こす可能性について警告されている。
一〇月・・・オーストラリア保健省薬品・医薬品行政局は、「ADHD」治療薬であるストラテラが攻撃性を引き起こしたという苦情を受けて、製造元の情報により強い警告を追加するように命じた。
【二〇〇八年】
六月・・・カナダ保健省は、前年までにストラテラの使用との関連が疑われる有害反応報告を一八九件受け、このうち五五件が自殺企図と分類され、うち四一件が小児(六〜一七歳)であったことを発表した。そして、ストラテラの製品の注意書きに「患者の年齢を問わず、自殺念慮、または自殺行動を示唆する他の徴候について、綿密にモニタリングすべきである。これには、激越型の感情や行動の変化、および症状悪化のモニタリングが含まれる」という文章を追加した。

 さらに危険な薬がコンサータである。コンサータは悪名高いリタリンの徐放剤で、メチルフェニデートと呼ばれる物質である。メチルフェニ一デートはアンフェタミン系の類似物質であり、アンフェタミン系の薬物の代表格がメタンフユタミンでる覚醒剤(ヒロポン、スピードとも呼ばれる)である。つまりコンサータを子どもに飲ませるということは、長時間効く覚醒剤を子どもに飲ませているのとなんら大差はない。
 前章で製薬会社が公表している副作用発現率の数字をご覧いただいた。この数字を見てあなたは集中力を高めるために子どもに薬を飲ませたいと思うだろうか。
 もしそれでも飲ませたいと思うなら、私はあなたを虐待者だと言ってはばからないだろう。ピーター・プレキンが述べているように。

以上、抜粋終わり

まさしく医療側による都合の良い定義で、

昔は病気ではなく当たり前だった。

この定義なら私も子供の頃はADHDになるだろう。

よくボーッとして人の話を聞いてなかったので、

先生や祖母から怒られたものである。

親がきちんとしつけをできないのも関係しているのかもしれない。

つまり昔と今では親の子供に対する見方や解釈が違うのかもしれない。

子供に強い薬を飲ませるのも問題である。

本来子どもは自然治癒力が高いのに、

それを壊すような行為は体にとってよいわけがない。

薬に頼らなくても、

子供は自分で治す力を備えているのである。

それを親が自分のコントロールのために薬を飲ませるのであれば、

考えものである。

問題は子供にあるのではなくて、

親の考えたかにあるからだ。

もう一度親として、

子供にどうあるべきか考え直してみよう。

うつ病からの脱出ーこれは病気ではない 1ー

今日からは「これは病気ではない」というタイトルで考察していきます。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

流行の「発達障害」という概念を広めた、わが反省
 この数年で最も流行りの疾患こそ「発達障害」であろう。
 そしてその発達障害が流行る原因の一つを、まぎれもなく「精神科セカンドオピニオン活動」が作り、その一部に私が含まれていたことは、申し訳ない限りである(『精神科セカンドオピニオン2』は発達障害に関する著書である)。
 なぜ謝罪するか、それはこの本が世に出されたことにより、発達障害という間違った考え方がより身近なものとなり、精神科医や親たちが子どもを発達障害と診断することを、手助けすることになってしまったからである。
 たとえば親が「この子は発達障害ではないでしょうか?」と相談に来るケースがかなり増えた。そのほとんどすべては私が診察した限り発達障害などというレベルではなかったのである。これはつまり私自身が善き人のふりをして、実は被害をまき散らしたということだ。私自身が善意の陰謀を働いたということである。
 確かに「発達障害」によって定義されるような行動形態は存在するかもしれない。しかしあまりに不確定すぎるし日常的・生理的すぎるのだ。
 この発達障害という概念の詐欺について考察していきたい。
 たとえば以下は教科書に載っている発達障害の四徴である。
① 言語発達、コミュニケーション障害(無関心や対人関係の不器用)
② 社会性の障害(友人を作れず、遊ぶことが苦手)
③ 同一性保持行動(儀式化され常同化した行動を変えることへの抵抗)
④ 多くは、知的障害を合併する。

 ごく簡単にいえばすべてを兼ね備えていればカナー型自閉症圏内、②と③に限局されていればアスベルガー症候群である。
 しかしよく考えてみてほしい。たとえば同一性保持という言い方をすればわかりにくいかもしれないが、これは簡単にいえば頑固者だったり融通が利かないということである。
 頑固でない人間なんていったいどれだけの割合存在するのだろうか?友人を作れないことが社会性の上で問題あるのなら、いったい日本人の何割がこれに該当するのだろうか?
 これはしょせん団塊世代の発達障害専門医(今の流れを作った医師たち)と、製薬業界によって作り出された新たな虚構なのである。
 であるにもかかわらず、私は発達障害概念をさぞ古くて新しい概念のように本を書いてまで広めてしまった。申し訳ない限りである。

隠れ蓑としての発達障害
 逆にいえば、もし発達障害というものが存在するなら、それは先天的な障害であり性格的側面が強いわけだから、発達障害児の親はすべて発達障害であるし、もっといえば人類全体発達障害でないとおかしい話になる。しかしそれを認めた親を私はほとんど知らないのだ。
 勉強すればするだけ発達障害などというものは「人間そのもの」であり、それが生まれた経緯はただのレッテル貼りと、大人たちが子育てにおける自分たちの無能を隠すための、「隠れ蓑」に過ぎないとわかる。大人の発達障害などはその極みであろう。
 今の児童精神科医たちが発達障害を流行にした一番の理由は、それこそ「金」にほかならない。児童精神科医の間では「発達障害の生涯支援」という有名な言葉がある。つまり彼らにとって患者は、一生金を貢いでくれる存在なのである。ここでも百歩譲って発達障害という存在を認めるとしても、一生支援しなければいけないとは限らない。というより私が知っている発達障害や自閉症の人でも、ずっと続く支援など必要としていない人が圧倒的に多い。
 古い時代で考えてみれば、その時代においては発達障害どころか精神疾患などという概念そのものがなかった。たとえば内気な人たちは単に内気であって、どこまでいっても個性の範疇でしかとらえられなかった。昔の女性など口数が多くてコミュニケーションがうまい女性は「あばずれ」たったのである。ところが今やこのような人間としては普遍的な特性までが、発達障害として規定されてしまうようになってしまった。
 これは学校教育も同じで、いま教育現場では発達障害やアスベルガーを見つけるのに躍起になっている。学校で行なわれるアンケート用紙に答えれば、必ず発達障害になるよう質問(アンケート表)が構成されていて、向かう先は児童相談所や発達障害支援センターであり、知能や特性のばらつきを検査で指摘されて精神科へ紹介、精神薬を飲まされるというのがパターンになっている。
 ここでも確かに症状が重い場合、精神遅滞(知的障害)や重症自閉症という行動形態は存在しうるかもしれない。
 しかしそれでももしそれが障害だというのであれば、生活や生存のすべてが成立しないレベルでなくては、診断する必要はない。そういう特性があっても、なんの介入、支援なしに社会適応してきた団塊・戦前世代はたくさんいるのだから。
 これらはすべて薬を投与して治るものではない。このように子どもにレッテル貼りしようとする行為は、すべて儲け主義の延長にすぎないのた。

以上、抜粋終わり

私がカウンセリングの勉強をしていた15年ほど前には、

今ほど精神科や心療内科はありませんでした。

また心理カウンセリングも全然認知されていませんでした。

日本の精神医療の分野は欧米と比べると、

かなり遅れていると感じていました。

そして精神患者を救う手立てが必要だと強く考えていました。

現在では精神医療分野も様変わりして、

精神科の専門病院はたくさんできました。

私はこれをずっと日本も欧米に追いつき、

素晴らしい環境が整ったのだと思っていました。

ところが実態は、

薬漬けにする治療が蔓延し、

治るどことか、

ひどくなる様相に、

これはおかしい、

とあるときからずっと感じていました。

そして調べていくうちに、

精神医療の分野が、

医療ではなく、

産業にされていることがわかってきました。

また私自身が治す医療を目指して来る過程で、

西洋医学が、

精神医療の分野では無力であることを知りました。

西洋医学の優れている面の一つは、

検査によるデータ化により、

客観性、再現性を出せるというところですが、

それは精神分野は目に見えないため、

正常と不正常の境界がはっきりしないことで、

すべての判断が曖昧だからです。

つまり検査などで数値化することができないため、

客観性が出せないということです。

そのため診断する医者によって、

診断名が変わるということになるのです。

そして処方される薬は、

これまた仮設によって作らた薬で、

最近ではその仮設も違うということがわかってきました。

はっきり言ってしまえば、

つまり治療自体がデタラメなのです。

もちろんお医者さん自体は治そうと一生懸命なのですが、

もとの治療自体がおかしいのですから、

治しようがないのです。

そしてそれを知らない患者の方は、

病院に行けば治してもらえるというマインドコントロールにかかってるので、

悲劇は未だに続いているわけです。

最近はこの著者のように本当のことを言う医療関係者やジャーナリストが増えてきたため、

真実の情報が書籍やネットで出回るようになってきました。

これらの情報にアクセルして、

理解できる人だけが、

自分を救えることになります。

つまり現代は情報力がなければ生き抜けない時代にきているのです。

自分自身で真実を追い求める心がなければ、

真実の情報にアクセスすることはできません。

この世界を幸せに生きていきたいのなら、

常に真実の情報を追い求めることを怠らないでください。

うつ病からの脱出ー私が精神医学を「詐欺」と呼ぶワケ 5ー

今日は第5弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

精神医学幻想からの脱却
 なぜ、いちクリニックの医師にすぎない私がこのようなことを言うのか?
 その原点は序論に述べた「精神科セカンドオピニオン活動」による。その活動の中で何百何千というすさまじい投薬をされてきた患者さんを診察し、セカンドオピニオンしてくると、そのことがよくわかるからだ。
 前述のとおり、精神科セカンドオピニオン活動をしていたころは、よりよい精神医療というものが存在するのではないか、という甘い幻想を抱いていた。
 そういう幻想があるとどうしても診断や治療など、精神医学に準拠したような行動しかとれなくなってしまう。障害という考え方や、薬は正しいものだという考え方から抜け出せなかったのである。
 しかしその後、多くの方に出会うことができた。世界の人権団体関係者、精神医療被害者会の人々、他科の医師たち、精神医療に否定的な福祉関係者たち、精神医療に取り組む法律家たちと会って、そのことは真に幻想でしかないことを私は教わったのである。
 また、ネット内における被害者から寄せられた声も私にさまざまな気づさを与えた。そのどれもが私の知らないことばかりであった。
 そのような経験を重ねることが増えるにつれ、私の中に劇的な変化がもたらされたのだと思う。つまり「精神医学は正しく、薬は必要である」という洗脳からの解放である。
 そこにあったのは精神科という存在が、どこまで世界の人々に対して悪事を働いてきたかであり、家族と精神科医が共同となって患者を苦しめてきたかという実態である。
 薬の副作用、離脱症状を赤裸々に語る文面は、ネットを開けばすぐ見ることができる。そんな問題が起きるのも、詐欺と呼ぶにふさわしい安易な診断体系と、精神薬の薬害から端を発する。製薬会社にとっては精神薬でどれだけ被害が出ようとも関係はない。いや、副作用の調査など真面目にやる気はないのだから。

「ダメでも結果は隠せる」
 ここでも一つエピソードを載せよう。
 ブルームバーグニュースに掲載された「If neg, results can bury(ダメでも結果は隠せる)」と題されたメモである。
 世界第二位の巨大製薬メーカーグラクソ・スミスクライン社の重役による、抗うつ剤パキシルと出生異常の関係に関して、マイナスの研究結果は隠蔽すると記述されたメモが、裁判において提示されたのである。
 グラクソ社の重役、ボニー・ロッセロは、動物実験をせざるを得なくなった場合の会社の対応として、「ダメでも結果は隠せる」と、一九九七年のメモに記していた。このメモは、生まれつき心臓疾患のある子どもの家族が訴えた裁判の冒頭陳述で読み上げられたものだ。つまり人々はこういう会社が作ったものを日々飲んでいるということである。
 このような業界において家族、精神科医、心理士、福祉士、看護師たちが織りなす差別と儲け主義に切り込まず、早期介入・早期支援しようものなら、いったいどれだけの子どもたちが犠牲になるか、見当もつかない。
 米国精神科医の良心と謳われたピーター・プレギンも次のように告白している。
「科学と医学による巧妙な合理化と正当化によってまったく認識されていないが、現代社会で最も破壊的かつ広範囲な児童虐待が行なわれていることを、鋭い臭覚の備わった大人ならだれでも、そして子どもの多くも気づいている。おそらく成人アメリカ人、そして大人になりかけている子どもならだれでも、この虐待の被害に遭っている子どもを少なくとも一人ぐらいは知っている。特に教師、コーチ、あるいは子ども相手の仕事をする人なら、この新たな虐待に遭っている子どもを、何十人、時には何百人も知っているはずだ。私たちの社会に特有の新たな児童虐待、それは子どもに対する精神科診断と投薬である」
 すでに日本の一部では早期介入のモデル地域が存在し、この早期介入の流れが強くなれば、学校で少し異質な子どもは、すべて精神疾患であると扱われるようになるであろう。
 本章の冒頭に掲げたADHDアンケートをもう一度ご覧いただきたい。
 この表で精神病を鑑別し子どもを精神科に送るのであれば、ほぼすべての子どもが精神病に当てはまってしまうのではないか。もっといえば大人であれ同じである。当てはまる方はたくさんいるであろう。その人たちはみな精神科にかかり、薬を飲まねばならないとでもいうのだろうか。まるで統制を余儀なくされるような近未来社会が、人間社会として まっとうであるとは、私には到底思えないのである。  

以上、抜粋終わり

一医者の告白ではありますが、

我々はこれを黙って見過ごす訳にはいかないのではないでしょうか?

なぜなら、上記のことは現在も進行中だからです。

次に精神科の犠牲になるのは、

あなたかもしれませんし、

またあなたの子供かもしれません。

早く我々は実態を把握した上で、

対処する必要があるのではないでしょうか?

うつ病からの脱出ー私が精神医学を「詐欺」と呼ぶワケ 4ー

今日は第4弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

ファイザー社のデッチアゲ研究
 いい加減なのは精神科医だけではない。もちろん製薬会社も同じである。たとえばロイターが掲載したニュースに以下のようなものがある(二〇〇九年一一月二日)。

◎ファイザー社、研究データをデッチアゲ
 調査機関が発表したところによると、ファイザー社が販売するガバペンチン(てんかん薬)のマーケットの拡大に不都合な研究結果の揉み消しや改ざんを同社が行なっていたことを示す社内文書が見つかり、製薬企業がどのように科学研究の操作が行なわれているかを知る機会を提供する結果となった。臨床試験ではあらかじめ科学的疑問を設定しておいて、それを調べることになっているが、ガバペンテンをてんかん以外の疾患に適用した場合の社内データと公表データを比較してみると、20の試験報告のうち8試験は医学ジャーナルに公表されていなかった。公表された12の試験報告のうち8試験では、主要転帰(研究に関する疑問と答え)が、元の研究計画にあったものとは異なるものにファイザー社によって変更されていた。「研究の公表報告の間で入れ替えられた主要転帰はいくつもあった」と、ボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学のケイ・ディカーシン女史は語る。「いくつかの主要転帰はまったくどこかに行ってしまっていた。新たに作られたのも。もとは二次転帰に設定されていたものが主要転帰に格上げされているのもあった」と、電話インタビューで女史は語った。

 ファイザー社がスポンサーとなって行なわれたこの一連の研究により、偏頭痛や痛みといった症状に対してガバペンナンがどのように作用するかが示されたが、これはガバペンチンの適用外使用である。
 薬というものは、いったん承認されれば医者の判断で自由に処方できるため、承認外での販売が許可されていない製薬企業は、医学雑誌に掲載されたこうした研究記事をコピーして医者に見せ、適用外のこれこれこういう症状にも効果がありますとやるわけだ。
 ティカーシン女史がこの内部資料を入手したのは、ファイザー社が四億三〇〇〇万ドル支払うことで決着した二〇〇四年のガバペンナンの違法プロモーション裁判で、専門家証 人としてファイザー社と対時したとき。またこの間題を別の弁護士が取り上げ、適用外の販売活動、都合の悪い研究結果の揉み消し、都合の良い結果を導き出すための臨床デザインの変更などに対し、再度ファイザー社は訴えられている。
 つまりすべてのものがこれくらいいい加減だということである。

早期介入、早期支援という一大詐欺について
 この詐欺を大々的に進めようとする動きがある。それが「早期介入・早期支援プロジェクト」だ。
 早期介入・早期支援とは国や関東系の精神病院、有名福祉法人などが大グループとなって進める国家プロジェクトといってよい。その内容とは言葉のとおり、
「精神病や精神的に問題ある人を早く見つけ」
「早く精神病院に連れて行き早く薬を飲ませて安定させる」
「早く福祉施設に入れて障害者として作業所などで働かせる」
というのが基本概念だ。
 まったく聞こえはいいが、これはまさに大規模詐欺に他ならないわけで、要するに早く金儲けの対象である患者を見つけ、薬を飲ませることで長期患者を作り、精神障害者のレッテルを貼り、それを福祉施設に入れることでさらにマージンと利益を得ることを目的としている。
 百歩譲って働くことが難しかったり、能力的に困難な場合福祉に組み込むのはありうるだろうし、相談業務を行なうことはありうるだろう。別に私は福祉をボランティアでやれなどとまったく思わない。
 しかしその中で薬を飲ませるべき人、病気であると判断すべき人、本当に福祉が必要な人がいったいどれくらいいるだろうか。
 私の答えはもちろん「非常に少ない」だ。

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以上、抜粋終わり

日本人はデータを出されれば、

すぐに信じてしまう傾向がある。

私は以前中国貿易をしていたので、

中国のことについては、

当時少し事情に通じていたが、

中国の出すデータはまったくあてにならないと知っていた。

だからデータを出す人や機関が信用に値しなければ、

今でもデータを見ただけでは信用しない。

出す人や機関の意図によって、

簡単に騙すことができるからだ。

日本や日本人が出すのデータなら信用できるかと言えば、

これもまったくあてにならない。

政府は統計でよくごまかすことも知っている。

だから、あなたもデータを見るときは、

最初に本当に正しいかどうかを、

まず疑って、

確認することを勧めます。

医者が早期発見、早期治療と言って検診を進めていますが、

ではなぜ検診をしているにもかかわらず、

病気を未然に防ぐことが未だにできないのか、

考えたことがあるでしょうか?

一度自分でその意図を確かめてください。

それが本当に役に立つものなのか?

うつ病からの脱出ー私が精神医学を「詐欺」と呼ぶワケ 3ー

今日は第3弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

精神科医ごとに異なる診断
 またこのような話もある。アメリカにおける二〇〇〇年の科学誌の発表では、若手精神科医たちが患者を診察したところ、偶然が起こらない限り意見が一致しないのが明るみに出た。つまり精神科医の診断は人それぞれバラバラで、何の評価基準もなくすべて主観によって左右されていることがばれてしまったのだ。
 これらは内科や他の領域では絶対にあり得ない出来事である。糖尿病といわれれば必ず万人で、血糖値が高いことが示される。ガンであれば血液検査や画像検査が必ず示される。ところが精神科の診断では、極論すれば、精神科医がある患者を嫌えば病名が変わってしまう場合だってあるのだ。この点がまさに詐欺の温床となっている。
 もう一つ例を出そう。アメリカの有名雑誌「サイエンス」に掲載された一九七三年の記事によると、八人の一般市民がそれぞれ別の一二の病院へ受診して、「空っぽだ」「虚しい」という声や、「ドサッ」という音が終始聞こえると訴えるように演技をした。その結果一人を除いてすべての人が入院させられて、しばらくしてから統合失調症の「寛解」だとして退院になった。全員ウソで受診したにもかかわらず……。
 日本でもいい加減な話があった。日本でも抗うつ薬を大量に処方する精神科医がいたが、その副作用で躁転したり被害が拡大したりすると、発達障害のせいである、躁うつ病のせいであるなどと都合のいい言い訳を持ち出すケースが多数見受けられた。私とてそのように考えていた時期があることは否定できないことである。
 しかもその被害が知られることを防ぐため、数々の隠蔽工作を行なうのが精神医療側の基本的考え方であり、時には製薬会社、時には家族会などを取り込んで、ひたすら自分たちの罪を隠すよう動いてきたのが精神科医の現実なのである。
 その意味で今書いているこの本は、自分は決してそこまで堕したくはないという意味を込めた内部告発なのだともいえる。
 なぜそのようにやりたい放題が可能なのかと問われれば、これまで指摘してきたとおり、病気を規定する科学的根拠がないからといえるし、精神科医の主観にすべて左右されるからということになる。

一八〇度変わった「日本うつ病学会」理事長の発言
 精神科の権威中の権威である前日本うつ病学会理事長は、過去にこう述べている。
「現在いろいろな薬が使われていますが、一般にどの薬も恐ろしい副作用はありません。中でも抗うつ薬は一番安全性が高い。継続して飲んでも心配なく、ぼけることも絶対にありません」(「信濃毎日新聞」二〇〇三年九月五日朝刊)
「麻薬のようなものでは、という誤解があるが、麻薬にはいつも欲しくなるという依存性がある。抗うつ薬には麻薬的作用はまったくなく、睡眠薬のような習慣性もない。止められなくなるとか、癖になったりしない」(「熊本日日新聞」二〇〇六年九月二日)
「薬で気持ちを変えるのは不自然で嫌だ」という患者もいる。
「これは、薬でうつ病が治って、その結果、気持ちが変わるということととらえたほうがいい。違う人格になることなどありません。抗うつ薬は〝強い薬〝というのも誤解。一般に、“強い薬”とよくいわれるのは、飲むと副作用があるという意味で使われていると思う。確かに抗うつ薬に副作用はあるが、決して強力に作用して、フラフラになるとか、日常生活が送れないということはないんです」(「熊本日日新聞」二〇〇六年九月二日)

 これらの発言が、二〇〇九年には下記のようになる。

 SSRI(抗うつ薬)の国内販売開始は一九九九年。現在四商品あり、うつ病治療では最初に処方される。旧来の「三環系抗うつ薬」と比べて便秘、太りやすい、心臓への負担などの副作用が少なく安全性が高いとして、「発売当初は過剰な期待があった」。ただ、アクティベーション症候群(自殺企図や攻撃性などの異常行動を起こすこと)が起こり得るのは「当初からわかっていた」。(「日経新聞」二〇〇九年八月一六日)

 一般人をなめた話である。当初からわかっていたのなら当時、数々の新聞に載せた話はいったい何だったのか?
 もちろんそれらはウソ偽りであって、精神医療の利権を保つためでしかない。
 私は別に必ず前に言っていたことを貫けとは言わない。しかしこのような詭弁を弄する前に「私はバカでどうしようもないウソつきでした。その罪滅ぼしのため真実を説明し皆様の役に立つよう頑張ります」と断ってから、新聞に語るべきであろう。

以上、抜粋終わり

各精神科医によってみな違う診断になるとは、

科学的と主張して、

東洋医学をバカにしているいる西洋医学としてはおかしな話ですよね。

本当にあなたを診断した精神科医が、

正しい診察をしているのか、

もう一度見直してみる必要があるかもしれません。

うつ病からの脱出ー私が精神医学を「詐欺」と呼ぶワケ 2ー

今日はこのテーマの第2弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

「睡眠キャンペーン」の真実
 ここでも一つ例を出してみよう。
 こんなポスターを見たことはないだろうか。これは、自殺対策の一環として、内閣府が二〇一〇年三月から始めた、「睡眠キャンペーン」のポスターだ。

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 実はこのキャンペーンの事前試行として、静岡県富士市では、全国に先駆けてこのキャンペーンを二〇〇六年に打ち出していた。うつを脳の機能障害とし、薬で良くなると言って悟らない精神科医の主張が取り込まれたこの自殺対策の効果はどうか?65ページの図を見れば、「逆効果」以外の何物でもないことをおわかりいただけるだろう。
 実は逆の話もある。自殺遺族が集まる自死遺族連絡会(代表・田中幸子)では、睡眠薬や向精神薬が自殺率を高めていると考え、地域の啓蒙運動として精神科を受診しないこと、精神薬を服用しないことなどを市民や役所向けに行なった。
 その結果、本拠がある宮城県では二〇%以上も自殺率が改善したのである。
 確かに自殺対策に取り組もうという方針は善意であり、精神薬を飲んで楽にさせようという行為も一見すると善意である。しかし当初の発意自体は善意でもむしろ結果は悪化するわけである。
 そして真の目的が自殺対策にかこつけた、学会と製薬会社が協調して行なう睡眠薬の販売キャンペーンだとすれば、これは善意の陰謀に他ならず、詐欺と呼ぶ以外の何に当たるのだろうか?

否定されている「仮説」
 皆さんご存知の抗うつ薬だが、抗うつ薬の作用を簡単に説明するとセロトニンを増やすということに尽きると思われる。
「うつ病=セロトニンの減少」という現象に対し、「抗うつ薬=セロトニンを増加させる」ということで、夢の薬のように発売当初は扱われた。副作用もないと銘打って販売されたものである。
 しかしこのことが真実であるかといえば当然そうではない。この表は精神薬の副作用発現率を示したものであり、製薬会社が正式に発表しているものである。また24ページでも合成麻薬MDMAと抗うつ薬の類似性については説明したとおりである。

IMG_0078

 うつ病がセロトニンの減少に関係するのではないかという仮説を立てたのは、ジョゼフシルドクラウトという人だ。セロトニンやドーパミンが精神病に関係するのではないかという仮説を、モノアミン仮説という。
 しかし提唱したこの仮説はすでに否定されている。仮説というより関係ないと「証明されている」のだ。
にもかかわらず、たとえば二〇一〇年に発表された研究によれば、アメリカ人の八七%が統合失調症はセロトニンやドーパミンがバランスを失っているという「化学的不均衡論」が原因であると考え、またうつ病も八〇%の人が同じように考えているという結果が出ている。
 この件に関してアメリカ精神医学雑誌「the American Journal of Psychiatry」には、うつ病の化学的不均衡器を再検討した医師たちによる以下のようなレビュー記事が掲載されている。
「-〇年以上にわたるPET study、モノアミン枯渇に関する研究、およびモノアミン関連遺伝子の多型性を調べる遺伝子関連解析の結果、うつ病の病態生理において、セロトニン系、ノルアドレナリン性、またはドーパミン作動性神経伝達の実際の欠陥に関係すると思われるエビデンスはほとんど存在しなかった」
 そして二〇一二年現在にいたっても脳内のセロトニン濃度を測定することもできないのだ。にもかかわらずこの仮説は世界中でうつ病を語る基本理念のように語られ、抗うつ薬 もそれを基本に作られてきた。これは薬ありきでまったくウソの仮説をさも根拠あるもののように用いているにすぎない。

以上、抜粋終わり

製薬会社はテレビで頻繁に宣伝しています。

何度も見ているうちに洗脳効果が出てくるので、

良いイメージとして定着してくると思います。

そのためほとんどの方は、

良いイメージが頭の中にあるため、

副作用のことなど忘れて簡単に服用してしまいます。

みなさんは製薬会社の戦略にまんまと乗せられてしまっているわけです。

そのことを思い出す必要があります。

薬には必ず副作用があります。

特に精神医療関係のお薬は強い効果があるので、

その副作用も大きくなります。

そのため、最初は効いているように感じても、

だんだんと症状が増悪してきます。

何度も書きますが、

薬は病気を治すのではないのです。

治すのはあなた自身の自然治癒力なのです。

精神科の薬は上記にも書いてあるように、

症状にあったものを処方しているのではなく、

間違った仮設を未だに信じて処方しているのです。

これでは治るわけがありません。

だから治療を選択するなら、

あなたが信頼できると思う代替医療を選択するべきです。

それがあなたを治癒への助けとなる第一歩なのです。

うつ病からの脱出ー私が精神医学を「詐欺」と呼ぶワケ 1ー

今日からは下記著者が「私が精神医学を「詐欺」と呼ぶワケ」というタイトルで書いていきます。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

あなたも絶対当てはまる!ADHDチェックリスト
 さて、本章では「なぜ精神疾患が詐欺なのか?」という疑問に対して触れていくことにしよう。
 ちょっと言葉遊びのようだが、なぜ「精神症状」ではなく「精神疾患」であるか、ということについて考えていただきたい。私も、人間がさまざまな精神症状を呈さないとは、決して言わない。精神症状というのは万人に必ず存在する普遍的なものである。不安、強迫感、うつ状態、怒り、妄想、幻覚、不眠、フラッシュバック、人とのコミュニケーションへの恐怖、依存……あげればきりがなく何かが必ずあるものだ。
 問題はなぜ精神疾患が「詐欺」で、精神症状は「詐欺」ではないかを考えることの大事さである。
 ちょっと違うたとえを出すことにしよう。ものを売るということは、ただいい商品を作ればいいというものではない。ものを売るためには、その商品をどうコマーシャルするか、そしてなによりある概念から外れることは異常である、と洗脳することが重要だ。
「え、あなたまだあの商品持ってないの?それっておかしいよ」などと不安を煽ることで商品を売ろうとするわけである。
 それを精神医療界に当てはめるならいかなるとらえ方になるだろうか。現実として行なわれている手法は以下のようになる。
 日常の中で普通に存在する精神症状を、あたかも「精神疾患=医師が治療しなくてはいけない病気」と思わせるために、多くのチェックリストを作り、新聞やテレビ上で、その疾患に当てはまるかもしれないと不安を煽り、精神科に受診させようとキャンペーンを張る。
 それらは一見思いやりに満ちた善なる行為にみえるが、真に人間を良くしたいという願いから来る行為ではなく、人々にラベルを張り、不安を煽ることで、精神薬を売り上げようという、要するに精神科が儲けるための戦略なのである。
 もう少し具体的な例を出してみよう。
 次ページから掲載するのは教育現場に配られているADHDの子どもを選別するためのチェックリスト。さて、あなたはいくつ当てはまるだろうか?

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 さていかがだろうか? 答えた人全員が何らかの部分で当てはまるのではなかろうか?
 このアンケートのうち、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」「推論する」の六つの領域(各五つの設問)のうち、少なくとも一つの領域で該当項目が12ポイント以上。「不注意」「多動性・衝動性」では奇数番目の設問群(不注意)、偶数番目の設問群(「多動性・衝動性」)の少なくとも一つの辞で該当する項目が6ポイント以上(ただし、回答の0、1点を0点に、2、3点を1点にして計算)。「対人関係やこだわり等」では該当する項目が22ポイント以上。これだけでADHDという診断に結びつくのである。まったくもってふざけた話だ。
 ここに書かれている特徴はすべて「子どもそのもの、人間そのもの」であって、障害などと診断するような類のものではない。
 これはつまりどういうことかというと、人間に存在する普遍的な喜怒哀楽や性格や特徴、また集団とは違う部分をすべて抽出して、病気とするよう設定したということである。
 違う言い方をすれば普通になりたい人たちの願望を利用して、病気であるかのように見せかけているということである。
 その日的は単純明快で、糀神科医と製薬業界が儲けるためにしかすぎない。

人間は怒り、泣き、笑い、悲しむもの
 病気でないものを病気とし、薬によって良くなるものではないにもかかわらず、良くなるというウソを並べることによって、相手をだまして客=患者とし、しかもその治療は現実的に良くならないものがほとんどであるという、現代の精神医療の姿を、私は詐欺と呼んでいる。
 もし良くなる人がある程度いるのであれば、私は精神科医が大いに儲けてもらっても結構だと思う。医学に限らずすべての分野でそのようなビジネスが行なわれているのは、間違いない事実だからである。
 問題はその治療行為があまりにも成功率が低い上に、もし良くなってもそれは見せかけ上で、薬に依存させられ永久的に患者として薬を飲んでいくよう仕立てられているという、儲け第一主義の現実なのである。
 良くなるという定義も重要である。精神薬を飲み続けて保っている状態を「良くなる」とは言えないということだ。それは改善ではなく、依存だから。
 先ほどは精神症状について生理的と述べたが、今の精神医学の価値観では、精神を完全にコントロールできない人間以外はすべて精神病となってしまう。それはすべての人間にできないことであって、できるのは機械しかないというのに。
 その価値観の中では、何も知らない一般人は周囲に合わせるため、完壁を求めて薬を飲むことによって、自分の不完全な部分を補おうと考える。薬によって自分の性格を変えようとまでする。けっして薬ではその欲求が叶うことはないのにそうする。これは一般の詐欺が人の金銭的欲望を利用するのと同じように、人の評価や周囲への配慮を逆利用した巧妙な詐欺手口ともいえるだろう。
 これらを考慮すれば、この世で精神病とやらにならず生きていこうとしたら、感情を消しとおすしか道はない。
 さまざまな気質を個性として重視した時代はすでに過去のものであり、少しでも社会にそぐわないもの、異質なものはすべて病気として規定されるようになった。それがどれほどおかしいことか、今更説明は必要ないだろう。人間はちょっとしたことで怒り、泣き、笑い、悲しむ、ちょっとしたことで不安になり、どうでもいいことにこだわってしまう。
変なものが見えたり聞こえたりすることも、人によってはありうるだろう。それが普通であることを人々は忘れてしまったようだ。
 精神疾患を詐欺と呼ぶことに関しては、「善意の陰謀」という別のうまい造語を作った人がいる。善意の陰謀という言葉は、イギリスで精神薬の薬害問題に取り組んだチャールズ・メダワーの造語である。彼の邦訳された著書『暴走するクスリ?』には精神薬が開発されてきた経緯とか、権威ある学会が善意をみせつけながら、利益誘導するやり方をとらえてこう皮肉っているが、見方を広げれば精神科にかかわるすべての物事は善意の陰謀であるととらえられなくもない。つまり患者を取り巻く家族、精神科医、心理士、福祉関係者、そのすべてがいい人のふりをして、じつは裏では違うたくらみを秘めているということである。その意味で「善意の陰謀」とはうまい皮肉だが、もっと簡単に詐欺といって何が悪いのか、それが私の正直な意見なのだ。

以上、抜粋終わり

この著者のおしゃることは最もだと思われるが、

読者の方はどのように感じられただろうか?

まだまだ話は続くので、

お楽しみにしていただきたい。

うつ病からの脱出ー精神科は、やりたり放題! 8ー

今日はこのタイトルの最終日です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

精神医学は「やりたい放題」の世界
 以上述べてきたことを総合してみれば、医療や薬という世界はいかにやりたい放題できる世界なのかということがよくおわかりいただけるだろう。
 そもそも政治などは古来の歴史に鑑みて、性悪説を基準にシステムを考えようとこれまで変化してきた。それに比し一般人にとっての医療や薬とやらは、性善説がいつも基本として成立するようである。善を実行できる人が真の医者で、他は皆ヤブ医者であるといい、そしていつも医者は善であるはずだと信じ込んでいる。しかし善とみえるものを実行する人がなぜそれを実行するか、その裏まで読めている人はまったく皆無だ。
 見せかけの善意として何か人間にとっての苦しさを病気に作りかえ、後から薬を販売するという医学倫理とは逆の立場からアプローチしてくるのが、大企業製薬業界のやり方なのである。またその真意がばれないよう、洗脳者を増やし依存度を高めていくのが、カルト宗教顔負けの精神科医のやり方なのである。
 本来医師というものはたとえ善意の人でも悪意ある人でも、免許を持っていればすべてが正当化されてしまうくらいの資格である。しかし、医師とて結局いち人間にすぎないので、どの場面でもあくどいことや偽善をやる可能性があるが、その多くが法律的には擁護されているのだ。医師が最高職であり権威であり専門でありエライというのは幻想でしかない。
 主観的で非科学的な精神医療には、性悪説の基準がなければ、どのような医療犯罪も正当化されてしまうのである。この認識なくしてどのような薬害からも抜け出せないことを、人々はもう知らねばならないのた。

以上、抜粋終わり

医者も人間ですから、

当然良い人も悪い人もいて当然です。

また医者だけが失敗が許されないというのも、

おかしいと思います。

なぜなら人間誰しも失敗はつきものだからです。

私は医者だけが失敗を許されない社会だから、

訴訟から逃れるために、

リスクを回避しなければならなくなりますから、

消極的にならざるをえません。

だから歪んでしまうのではないかと思います。

もともと患者側にも問題があるのです。

むしろ無知で無責任なのは患者側なのです。

何もわからないから医者に丸投げし、

全責任を医者に押し付けることになってしまうのです。

丸投げされた方も困ります。

なぜなら本体病気か患者自身の問題だからです。

それをわからないからということで、

責任を放棄し、

医者に丸投げしてしまうのですから、

だから、たとえおかしな治療であったとしても患者側は気づかないわけです。

もっと国民全体が体について勉強する必要があります。

しかし肝心なことは、

今の教育では教えませんから、

結局自分自身で勉強するしかありません。

しかし、今はインターネットが発達したおかげで、

ちょっと調べれば、

だれでもすぐに簡単に情報を引き出すことができます。

これを有効活用すべきなのです。

自分が治療を受ける前に、

ちょっと検索すれば良いことなのです。

予備知識をつけた上で、

受診すると、

自分も積極的に治療に参加することになり、

自分で治そうと、

前向きに取り組むことになります。

この態度が大事なのです。

この行動と心が自然治癒力を引き出すことになるのです。

実際ためされるとわかりますが、

自分が積極的に治療を受けるのと、

消極的に治療を受けるのとでは、

回復に大きく差ができます。

これは前向きな心になることで、

自然治癒力が上がるからです。

心と体は密接に関係してますので、

心の状態で体への影響が大きく変わります。

だから常に前向きな心を保つことが必要なのです。

そしてあなたの心や体を治すのは、

あなた自身に備わっている自然治癒力です。

これはどんな人にも等しく与えられた人体の機能です。

だからあなたの心や体を治すのは薬や治療ではありません。

薬や治療はあくまであなたの体を治すお手伝いをしているにすぎません。

自然治癒力が病気に勝てなくなった時、

人は病気になるのです。

だから病気になったときにしなければならないことは、

まず自分の自然治癒力を上げることです。

現代医学と言われる西洋医学は、

この自然治癒力をあげるすべがありません。

なぜなら対処療法ですので、

出ている症状にしか治療を施さないからです。

しかし東洋医学は自然治癒力を助け、

症状を回復させることができるので、

多くの点で優れているところがあります。

だから病気に対して、

本来東洋医学の方が適している病気はたくさんあります。

特に慢性疾患化した病気は西洋医学は無力ですので、

東洋医学の方が優れています。

しかし残念なことに、

ほとんどの国民は東洋医学を知りませんし、

また東洋医学を実践している医者や治療家もごくごく少数なため、

接触する機会がないことが、

知られないという悪循環を作り出しています。

純粋な漢方を処方できる先生は、

法律の関係で、ほんのひと握り。

また鍼灸の世界も本当に東洋医学の治療をしている先生は、

全体の2割未満です。

ほとんどの鍼灸師は患部に鍼をするだけの西洋医学的な治療をするために、

これが鍼灸だと誤解されることになります。

そのため、本当にすぐれている東洋医学の部分を社会に役立てることができていません。

これは私を含め、東洋医学を実践している先生方も頑張っておられるのですが、

残念ながら少数なため、

我々の声が届かないのが現状です。

現状精神医学の世界は薬物療法が中心です。

さっきも書いたように、

人間の心や体は薬で治すわけではありません。

薬は症状を抑えるだけで、

治しているのは自分自身の自然治癒力です。

また精神医学の世界はすべて仮設で行っているため、

本当に病気の機序が正しいのかどうかわかっていません。

だから薬物療法もうまくいくわけがないのであって

実際に多くの患者さんが治るどころか、

副作用がきつく、

更にひどくなっているのが現状です。

この分野において、

心にも体にもアプローチできる東洋医学は、

根治療法として優れています。

だから私は自身を持って勧められるのです。

しばらく精神医療の分野がどういうものかをこのブログで書いていきますので、

もう一度、

自分が受ける治療がどういうものかを

自分の未来を明るいものにしたいのであれば、

是非考察してください。

うつ病からの脱出ー精神科は、やりたり放題! 7ー

今日は第7弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

副作用の報告
 また精神薬の場合、少なければ副作用が心配ないというわけではない。薬の依存性(常用量依存などという)、鎮静作用、錐体外路症状(パーキンソン病のように、体が動かなくなったり逆に勝手に動いてしまうような症状)、認知障害や記憶障害(要するに精神薬を飲むとボケる)、自殺衝動の悪化、その他の副作用など、薬が一種類であっても多数報告されている。
 たとえばパキシルという薬はアメリカでは特にやり玉に挙がっていて、多数の訴訟を抱えている。「ブルームバーグニュース」からの引用は次のとおりである。
「1992年にパキシルが発売されて以来、グラクソ・スミスクライン社(CSK)に対して起こされた注意義務違反に関する訴訟には三つのタイプがあり、出生異常、自殺、そして依存症などに分けられる。2009年12月4日の時点で、約150件の自殺に関する訴訟の平均和解額が200万ドル、約300件の自殺未遂が30万ドルとなっている。またパキシルが引き起こした依存症に関する3200件の訴訟では、GSK側がそれぞれ5万ドルを支払うことで決着した。またこの巨大製薬企業は、独占禁止、虚偽行為、陰謀が疑われた裁判で約4億ドルを支払った。1992年に市場に出てから10 億ドル近くをGSKはパキシル訴訟に費やしてきた。訴訟費用やその他のもめごとを処理した費用として、200人年度末の年次報告書には40億ドルが計上されていた。600件を超える出生異常訴訟の最初の評決となった2009年10月13日の裁判では、妊娠中のパキシル服用により心臓に三カ所の欠陥を持って生まれた原告側リアム・キルカーちゃんの家族に、賠償金2500万ドルが支払われることになった」

 精神薬はパキシルだけではない。抗精神病薬として最も有名なリスパダールには以下のような話がある。アメリカ・ボストンの「リーガル・ニュースライン」から引用する。
「非定型抗精神病薬リスパダールを違法にマーケティングしたとして、マーサ・コークリー司法長官は、製薬会社オーッ・マクニール・ヤンセンファーマスーティカルズを告訴した。コークリー司法長官によると、ヤンセン社は高齢者の認知症や児童の多くの症例にこうした用途での薬の安全性や有効性が不明のまま、FDA(米食品医薬品局)の承認を得ずに治療薬として使うことを促していたという。サフォーク上級裁判所に提訴された申し立てによると、ヤンセン社は、過度の体重増加や糖尿病、また高齢の認知症患者には死亡リスクが増加することなど、リスパダールの使用に開通するこうした深刻な副作用の開示も怠っていたとされる。コークリー司法長官は、『薬剤生産者は、安全性や有効性が確立していない段階で自社薬剤の使用をプロモートすべきではない』と述べ、『ヤンセン社は患者の安全よりも利益を優先し、適応承認されていないリスパダールの使用を促進し、深刻な副作用の開示を怠った』とした」

 他にもこの訴訟では以下のようなことが指摘されている。
・マサチューセッツ州の医療従事者および消費者に対するリスパダールの有効性および安全性に関する重要な事実の伝達漏れ、および隠ぺい。
・リスパタールの使用に開通する副作用およびリスクの隠ぺい、伝達の怠慢、あるいは矮小化。
・認知症患者への死亡リスクの増加を含む深刻な副作用があるにもかかわらず、説明なしに高齢者の認知症治療薬としてリスパダールの使用を促した。
・リスパダールを認知症治療薬としての販売承認を同社がFDAに求めた際、安全性に対する懸念を理由に拒否されたことを開示することなく認知症治療薬としてリスバグ-ルの使用を促した。
・児童の行為障害およびその他疾患の治療薬としてFDAがリスパタールを承認する以前から、10年以上にもわたって安全かつ有効なそうした用途の治療薬としてリスパダールを市場でプロモートした。
・リスパダールの安全性、特に体重増加と糖尿病発現のリスクに関し、処方者に対して誤解を与える不正な発言を行なった。

 さらにニューヨークタイムズは以下のようにも伝えている(一部抜粋訳)。
「統合失調症治療薬として大成功をおさめたセロクエルの販売活動の違法性が問われた連邦の捜査で、製造元のアストラゼネカ社が5億2000万ドルを支払うことで決着。
 ワシントンで行なわれたこの記者会見でキヤスリーン・セベリアス保健社会福祉長官は、『薬の市場拡大のためにアストラセネカ社は医師にリベートを支払って未承認の適用外処方を違法に促していた』とし、『同社は子どもや老人、そして退役軍人や囚人などを対象に未承認の処方で販売促進を行なった』と語る。薬の全米売上げトップチャートにもランクされ、今やドル箱となった抗精神病薬の違法な市場拡大に対する連邦の捜査で、金銭の支払いを行な巨大製薬企業は、過去3年でアストラセネカ社が4社目となる。
 ロンドンに本拠を置く同社は、セロクエルに都合のよい研究データだけを誇張し、リスクを適切に開示せず、医師や患者を欺いたとして告訴もされている。現在もアストラセネカ社は、薬剤のリスクを開示しなかったとして2万5000件に上る患者側からの民事訴訟を抱えている。
 同社は二件の連邦捜査と、セロクエルの販売および市場拡大に関する二件の内部告発者からの訴訟もあった。連邦捜査のうち一件は、臨床試験に参加した医師たちに関するもの。もう一件の調査は販売員にかかわるものであった」

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 製薬企業に対する海外でのこうした裁判は、今までもたびたび行なわれてきたことであり、製薬企業が売上げを上げるために臨床試験研究の流れをいかにコントロールしてきたかをうかがわせる。
 このように多数の薬が古いことや依存性が高いこと、さまざまな副作用で訴訟となっていることが明らかであるにもかかわらず、日本では依然危険な精神薬の大多数が認可されたままである。
 そのためすでに日本は世界における精神薬の在庫処分場と化しており、たとえばベンゾジアゼピン系(安定剤、睡眠薬として用いられる種類)でみれば、どの国と比べても世界一の精神薬消費国となっている。決して日本人の精神が病んでいるからだけではない、企業の利権と精神科の権益が深く絡んでいるから今の状況であることを、国民はもはや知らねばならない。

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以上、抜粋終わり

薬には副作用はつきものです。

どんな副作用があるのか、

必ず把握したうえで、

服用するのかどうかは、

必ず自分の意志で決めてください。

うつ病からの脱出ー精神科は、やりたり放題! 6ー

今日は第6弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

10日間の医療保護入院
 もっとひどいケースもある。
外資系証券会社などで働いてきた20代後半の男性が、ある日突然、精神科病院に入院させられた。手足を拘束されて薬を多量に授与され、電気けいれん療法ECT(いわゆる電気ショック)を何度もかけられ……。この強制的な入院の前後に、彼を診察した複数の医師は証言する。「彼に精神疾患はない」。こんなフィクションのような出来事が現代の日本で起こったことを、あなたは信じられるだろうか。
 次に掲載するのは本人による手記である。

 私の体験談は、2011年12月8日の「読売新聞」医療ルネサンス欄に掲載されました。これは現在の精神病院で行なわれている医療保護入院についての初めての報道だったのではないでしょうか。多くの方々が「精神科医の診断は正しい」と思わされている現状を少しでも変えることができればと願って、再びここに事実を書くことにします。

 2009年2月、当時、私は耳鼻科的な疾患が原因であるめまいと頭痛に悩まされていました。
 ある日突然、119番通報もしていないにもかかわらず、救急隊が私の自室へ入ってきました。「どうしましたか?」という救急隊員の親切な問いかけ。私が精神医療被害に遭うなかでかけられた、最後の心温まる言葉だったかもしれません。
 救急隊員と20分前後の明確な会話をした後、私は自らの症状を告げ、総合病院の耳鼻科への救急搬送をお願いしました。ただ、その救急車には、ことあるごとに警察に対して「(私のことを)訴える!」と言い続けていた母親までもが同乗していたのです。母と私との関係はたいへん悪化していました。兄と私とのあいだのトラブルをきっかけに、それまでも母は何度も私からの被害を訴え、110番通報をしているのですが、通報がひんぱんでなおかつ被害が認められなかったため、警察はまともに取り合わなくなっていました。
 救急車の中で寝ていた私は救急隊員の「病院に着きましたよ」との掛け声とシャッターの閉まる音で目が覚めました。それと同時に救急車の裏ドアが開きました。このとき初めて私は自分で望んでいた病院とは違う場所へ連れて来られたことを悟りました。
 救急車から降りると、紫色の服を着た人たちが10人ほど立っていました。
 その中の一人の男性が「診察室はこちらですよ」と大声で話しかけてきました。私は、その声に反応して、指示された診察室へ向かいました。
 そこには、大柄でニヤニヤとし、髪の薄い男がいました。私は、その場の雰囲気からその男が医師であることを理解しました。その医師には微塵も真剣さなど感じられません。私が、その医師に「ここはどこの病院ですかふと聞くと、笑いながら「精神科!」とだけ答えました。私はこの精神科医を相手にせず帰ろうとすると、医師は「おおっと、ちょっと待った」と笑い、それと同時に紫色の服を着て背後に立っていた男らに通路を塞がれました。
 医師は、「ほら、席に座って、座って」と私に言いました。
「名前は?」「○○です」
「生年月日は?」「昭和〇年の〇月〇日」
「ふだん飲んでいる薬は?」「ボルタレン」
 たったこれだけの問答で医師と私の会話は終わりました。そして、この精神科医がつけた私の診断名は、①「統合失調症」、②「薬剤性パーキンソニズム」、③「アルコール依存症」たったのです。これが、現代で行なわれている精神科医の診断の実態です。
 私の母親は当日の午前中、この病院を訪れ、精神科医に、私の医療保護入院を熱望していたのです。
 私とのわずかな会話の後、医師はできあがったカルテを確認し、大きい注射器を持ち出すと、それを私に向けて「はい、手を出してー」と笑いながら言いました。逃げようと立ち上がった私に、背後にいた看護師らがいっせいに襲いかかりました。このときの精神科医が放つあふれんばかりの優越感と頭皮がむき出しになった剥げ頭は今でも忘れることができません。
 私や、私を押さえつける看護師らとは対照的に、この精神科医は注射を打つことにたっぷりと時間をかけながら、必死に抵抗をして事実を訴える私に向かって満面の笑みを浮かべていました。
 医療機器が出す「ピコー、ピコー」という音と左腕に感じたひんやりとした触感によって、私は意識を取り戻しました。そのときにはすでにECT(電気ショック療法)の準備が整っていました。そして、さらなる注射を打つ準備をしている精神科医。
 こうして私に対する隔離・拘束は2009年2月13日から同月の23日まで行なわれ、隔離から解放されたのはその2日後の25日でした。その間、六回ものECTを受けました。私は、隔離・拘束、そして電気ショックを受けている間に多くの情報を得ることに努めました。私が知った精神医療、医療保護入院とは、ただ単に精神科医らの心・欲望を満たす行為にすぎませんでした。
 まともな会話をもせず、医療保護入院になると、精神科医は自らの患者らを自分の思い描く人格になるまで薬漬けにし続ける。その根底にあるのは、「治そう」という気持ちではなく、自分の思いのままに他人の人格を変えてしまおうという意図以外の何ものでもありません。それに使われたのが向精神薬たったのです。
 私はその後、この精神科医や精神病院を相手取って裁判を起こしました。裁判の過程で、私はこの精神科医の能力、そしてこの精神病院の実態を知りました。
 この精神科医は母親が嘘を言っているにもかかわらず、それをそのまま鵜呑みにして私のカルテに記載をし、私を統合失調症と疑っていたこと。それよりも、さらに驚かされるのは、この精神科医は統合失調症の診断基準さえ知らずに、これまで数千人以上の人々を 診察・診断をしてきたという事実。
 そして、この精神病院、そして理事長はいまなおこの無能な精神科医が統合失調症と診察・診断をした被害者への救済を一切行なっていないのです。

 このように精神病院の措置入院、医療保護入院のさせ方は違法行為であることが多数ある。またこのケースに際しても電気けいれん療法で患者は良くなった、と精神科医は判断しているのだから始末に負えない。
 他にも、たとえばある高齢の老人では、家族とケンカしたことにより、家族によって強制的に精神病院へ入院させられることとなった。その入院理由は家族のいうことを聞かないからであったが、実をいえば財産の横取りであった。これは医療の名を借りた明らかな高齢者虐待であるといえるが、精神科的には「高齢者のほうが病気」なのである。
 資格のない研修医がこれらの強制入院を決定しているケースもある。枚挙にいとまがない。
以上、抜粋終わり

実に恐ろしい話ですね。

きちんとした検査をせずに精神疾患の患者にされてしまうとは。

本当に信じられないような話です。

でも、これが本当だとしたら、

今度は何かのきっかけで、

自分が精神疾患の患者にされてしまう可能性は否定できません。

その時自分たちはどのような対応をすべきなのか?

考えておく必要があるかもしれません。