うつ病からの脱出ー親の詐欺的行為→「心的外傷後ストレス症候群(PTSD)」 2-

今日はトラウマの第2弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

PTSDで精神科に行くと…
 ここでもう一つ親のDVと薬物中毒に仕立てられた方の体験談を紹介しよう。PTSDで精神科に行くとこうなるという典型例である。

 私はIT系の一部上場企業で働いていました。徹夜続きの仕事と父親によるDVという家庭トラブルを抱えており、私自身いつもイライラを抱えていました。そこでなんとかしたいと思い、ネットで調べるとアダルトチルドレンではないのかと思いました。海外のDV加害者をカウンセリングで治療しているという記事を発見しました。
 そこでカウンセリングを受けにメンタルクリニックに通い始めました。カウンセリングも受けましたが、初診時に医師から「心を安定させる薬を出しておきますね」と言われました。そのとき、副作用の説明も一切なく、病気とも言われなかったため、医師の指示どおりに治療を受けながら仕事をしていました。
 そして気づくと薬の量が増えていき、仕事もできない状態になり、最後は自殺企図まで現れました。そして、仕事ができなくなり生活保護受給者になりました。今までの病院で悪化してしまったので、自主的に病院を転院しました。
【この病院で処方された薬】
メイラックス、ミグシス、ロミアン、トリブクノール、ノクスタール、ベタマック、マイスリー、ネルロレン、ランドセン、エチカーム、アンデプレ、ジエイゾロフト、フルニトラゼパム、セレニカ、エビリファィ、トレドミン、リフレックス、ルボックス、サインバルクカプセル

 次のCクリニックで、医師にうつ病ですねと言われました。初診時に生活のリズムを整えるために、デイケアを利用してくださいと言われました。そこでは、麻雀、絵画教室、将棋、囲碁などいろいろな講座がありました。各週の週末は寿司、うな重と至れり尽せりでした。最初は、心のリハビリで講座があると思いました。
 しかし、一カ月も通院し知り合いができ、話を聞くと、二〇年間この生活を続けているというのです。それは患者を飽きさせないためのただの娯楽施設に思えてきました。
 このままここにいては彼らのようになってしまう、染まりたくないと思い始めました。そんなとき、患者が倒れました。しかし、スタッフはだれも救急車を呼びませんでした。失神し倒れた状況を心の問題だからこちらで対応しますと言うのです。明らかに失神し何度も倒れたのを目撃しました。
 抜け出せないと恐怖を覚え、「医師にそろそろ働いてもいいですか?」と聞くと、まだ早いと言われました。「どうしてですか?」と尋ねると、医師は「私の勘です」と言い、今まで勘で診察していたのかとビックリしました。そこで自主的にまた次の病院へ転院しました。
【この病院で処方された薬】
ジェイゾロフト、ソラナックス、デパス、レスタス、トレドミン、レキソタン、ドグマチール、ミオナール、クラリス、ダーゼン、ムコダイン、メイアクト、ロキソニン、メジコン

 いい医者に見てもらいたく、今までの精神医療の疑問もぶつけ、それでも受け入れてく れる医師を探しました。Dクリニックが見つかり、初診で「あなたはADHDです。発達障害なので一生治りません」と言われました。発達障害という診断に疑問は持ちましたが、ネットで調べるともしかするとADHDなのかなと思い始めました。
 しかし、ここでも同じように患者で回復した方はおらず、デイケアは娯楽化しており、私自身の薬も徐々に増えていき、最後には頭痛、吐き気、目眩、発汗、自殺企図といつ自殺してもおかしくない状況になりました。
【この病院で処方された藁】
べタナミン、ワリカカプセル、パキシル、ハルシオン、サインバルクカプセル、デパケン、ロキソニン、ランドセン

 このときは、保健士、福祉事務所、厚生労働省、都の医療相談。思いつく限りの行政に助けを求めましたが、返答はすべて「主治医の言うことを聞きなさい」でした。殺される!と本気で思いました。薬のせいでいつ自殺してもおかしくない状況だったので、私は友人の家に泊めてもらいました。友人の家にいる以上、迷惑はかけられないと、そのときできる自分なりの心のブレーキでした。友人宅でネットで薬の副作用を調べ、人権擁護団体のサイトを偶然見つけることができました。
 人権擁護団体にすぐに問い合わせをし、減薬、断薬の治療をしている医師を紹介してい ただきました。薬も抜けてきて、現在では月に何度か頭痛が発生するだけになりました。今では心の健康は完全に取り戻しました。

 この体験例からわかることは、どの精神科に行こうが残念ながら事態はまったく変わらないということである。

以上、抜粋終わり

西洋医学の場合は、だいたい診断が一致するのが優れているところで、

それだけ治療基準が揃っているということです。

これが西洋医学の長所でもあります。

ゆえにどこへ行っても同じことになってしまいます。

そもそも精神医療分野においての治療方は、

薬物療法が中心なので、

薬による副作用の被害に遭いたくなければ、

医者を避けるしかありません。

そのため自分で信用できる代替医療の先生を探すことです。

この中で法的に安心できるのは鍼灸治療です。

何故なら鍼灸師は国家資格を有しているからです。

あとはほとんど民間資格です。

それから鍼灸を含めた代替医療は、

技術の個人差が大きいので、

一人だけではなく、

複数比べる必要があります。

他の代替医療はよく知りませんが、

鍼灸においては、

探せば必ずあなたに合う先生が見つかります。

だから諦めずに、納得行くまで探し続けてください。

うつ病からの脱出ー親の詐欺的行為→「心的外傷後ストレス症候群(PTSD)」 1-

今日からはいわゆるトラウマについてです。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

トラウマは人生の原動力なのに…
 PTSDという病名もある。確かにその状態は存在するかもしれない。しかしそうするとやはりほぼすべての人間がPTSDになる。
 トラウマを抱えていない人間など、私は一人もみたことがない。戦争体験者、被災、犯罪被害、いじめ経験、パワハラ、DV、虐待その他もろもろ、日本にそれらを何一つ体験せず、ぬくぬくと生きてきた人がいったいどれくらいいるのか。
 私には一人もいるとは思えないし、であれば日本人はみなPTSDと診断され、治療対象となる。フラッシュバックの一つ二つ、私だって持っているくらいだ。
 人間は皆何かしらのPTSDかもしれないが、大半の人々は精神科医になど通わなくても、自ら治癒してきた。一人で治癒できる人は少ないはずで、治癒できる人は家族や友人の支えがあって、それが何よりの癒しや心理治療となって改善したのである。
 とすればPTSDが顕在化する患者とは、何かしら家族や友人関係に問題があるか、家族を亡くしている人に多いということがわかってくる。
 実際、重いPTSD患者の場合、虐待など何らかの家族間題があるか、いじめなど強い排他的ストレスを経験して、かつ友人などいないものばかりである。
 PTSDにおいでも存在自体は普遍的であるということを忘れてはいけない。そしてそれを治すことができるのは、クサイようだが人間の愛情や友情だけである。もっといえばそのトラウマを治すべきなのかどうかをよく考えねばならない。
 古来よりほとんどの人はトラウマを抱えながら、そのトラウマをばねにして人生の原動力としてきた。長期的、継続的に何かを成し遂げてきたものは、みな何か自分にとって嫌な思い出をばねにして動いているものである。
 残念ながら精神科医は癒しの技術など教わらない。そんなものは教わって身につくものではないし、そもそも教えられてもいない。
 教えられているのはただひたすら「頭がおかしい」(と彼らが思っている)人を、薬で鎮静するというその一点だけである。
 しかし、決して薬ではPTSDなど治りはしないのた。治っていると錯覚するのは、考えそのものを消し去るように薬を投与されているからで、そのために大量の薬を必要とするわけである。
 記憶の問題自体は先送りしているので、一生薬を飲み続けない限りフラッシュバックは再発しかねないというリスクを負う。つまりはここでも一生薬を飲むべき顧客が誕生することになる。トラウマやフラッシュバックやPTSD幻聴を消す代わりに、多くのものを失ってもいることに一般人は気づいていない。
 こんな治療を勧める精神医療界など、PTSDにおいても詐欺的としか私には感じられないのだ。
 もちろん私はすべての患者に対して愛を向けるほど人間ができているわけではないし、そんな治療を行なう気など毛頭ない。それは家族であり伴侶であり親友の仕事である。私も家族や親友のためなら薬を使わず、相談にのってできるだけのことをするだろう。
 医師としてできることはその必要性を告げることであって、場合によってはよい心理カウンセラーを紹介することくらいである。少なくとも投薬することではない。

精神科医と親による「共同虐待」
 PTSDを考える上で避けては通れない議題、それが虐待だ。
 精神医療界では医療者のほとんどに、患者が虐待を受けていたという認識が欠けている。親が子どもを支配し虐待を繰り返している例は枚挙にいとまがない。
 虐待といってもわかりやすい虐待ばかりではない。支配、過剰なまでの干渉、ネグレクト、薬によるコントロール、これらのすべては虐待というより「隠れ虐待」と呼ぶべきものである。すべてを虐待という言葉ですますには無理があることも確かだが、患者の他部的傾向と、親の虐待的行為とが複雑に絡み合っている、と考えるのか妥当であろう。
 私は子どもが不都合な状態に陥ったとき、精神科に連れていき薬を飲ませることを「精神科医と親による共同虐待」と呼んでいる。この条件から外れる治療行為とは、子ども本人が治療を必要として受診した場合のみである。
 子どもはすべて発達の過程にあり、その過程の中で精神的に不安定となったり、おかしな行動をとることは当然ながらだれにでもあるのである。
 にもかかわらずその「おかしさ」に耐えられない親は、自分たちで考え、親として行動しようとするのではなく、精神科の門をたたいて、自分の子どもがおかしいのかどうかを判断してもらおうとする。
 たとえ子どもが暴力を振るおうと、不安でパニックになろうと、変な妄想を持とうと、それは子どもながらの必然性があるのである。精神科に連れて行こうという行為は、他人や薬によって矯正してもらおうとすることに他ならず、親の責任放棄に他ならない。
 たとえば子が虐待に曝されてきた場合、子どもの親に対する憎しみは深いがゆえに、常軌を逸する妄想が生じるが、親は自分が虐待してきたことに気づかなかったり、ひたすら隠そうとする傾向がある。
 精神病と診断されるのも投薬されるのも本来は親であるべきはずなのに、親はそれだけは避けるべく(バレないように)子どもに対して優位的な行動をとるわけである。その結果が受診であり、先に子どもを精神病に仕立て上げるということであるともいえよう。
 つまりこれは親が詐欺行為を働いているに等しいのだが、PTSDという診断の裏にそのような事情があることを知る者は少ない。

以上、抜粋終わり

私は医療業界の方は上記に任せるとして、

患者側の問題を提起したい。

PTSD(トラウマ)は確かに誰にでもあると思われる。

しかし中にはそのトラウマに異様に執着し、

自分はこの問題があるからダメなんだと思い込み、

なかなか手放さない人もいる。

そんな人が精神科や心理カウンセリングを受けに来るが、

いかんせん、自分で手放す気がない人が多いので、

なかなか良くならない。

自分では治したと思って治療に来るようだが、

本人の無意識の中に、

そこに依存している部分があり、

そのため一方では絶対に治らないという思い込みを作り、

そのトラウマを手放さないのだ。

私はそのような人を何人も見てきた。

結局その人たちは自分を変えたくないのである。

そこに都合よく診断名を付けてもらえれば、

医者が診断しているから、

もしくは自分で診断して、

逆に安心してしまい、

そこに自分を定着してしまうのである。

もう治らないと。

そんな人はどんな優秀な医師や心理カウンセラーが対応したところで、

自分が治す気がないのであるから、

治るはずがない。

ただ私は治そうと努力してますよ、

というジェスチャーをしているにすぎない。

つまり、PTSDについては弱い自分に依存してしまう、

患者側の方にもかなりの問題があるということだ。

うつ病からの脱出ー顧客マーケットを掘り起こす「不安障害・社会不安障害」2ー

今日は「不安障害」の第2弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

依存症患者の作り方
 このような不安障害と呼ばれる反応に対して、一般的には抗不安薬や抗うつ薬の投与が行なわれている。しかしこれは依存症患者をせっせと作っているに等しい。
 抗不安薬は総じてベンゾジアゼピン系と呼ばれ、昔から依存性が強いと指摘されてきた。ベンゾジアゼピンの依存度数は下記を参照にしていただきたい。

 常用量であるから依存しないわけではない。常用量でも一定の割合で必ず依存するのである。それが証拠に国連の麻薬統制委員会ではれっきとした麻薬として認められている。
 またその後に出てきた抗うつ薬は、依存をきたさない夢の薬としてコマーシャルされたが、ふたを開けてみれば非常に依存性が強いことがわかってきた。つまり単なる生理的反応に依存性が強い薬を授与して、依存状態にさせるのか常態化しているといえる。
「不安に対して薬を飲む」という行為の意味そのものも考えねばならない。これはその不安を乗り越えようとするのではなく、薬によってかき消そうとする行為である。言い方を変えれば成長や克服を先送りしているといってもいい。
 その結果、薬を飲んでいる限り永久に対処力は身につかないので、一生薬を飲み続けるしかなくなる。
 そういう薬を、ただでさえ不安が強い患者に安易に飲ませるとどうなるか。依存に気づこうが気づくまいがやめることに対してさらに不安になっていくのは必然であろう。こうして精神科医にとっての優良顧客=固定資産がまた一人また一人と生産されていく。いったいこれを詐欺と呼ばずして何を詐欺と呼ぶのだろうか?

三〇年前の警告
 最後にインディペンデント紙に掲載されイギリスで話題となったエピソードを紹介しよう。題して「ベンゾジアゼピン―三〇年前に脳障害との関連性が疑われていた」。のちに何百万人もの人々に処方されることになる安定剤には、脳傷害を引き起こす場合があることが、三〇年前に政府の専門家に警告されていたことを示す秘密書類についてである。
 アルコールの長期依存による影響と類似する脳の萎縮がみられる場合があるとした精神科医による研究報告を受け、一九八二年、医学研究審議会(MRC)はベンゾジアゼピン類の長期的影響についての大規模研究に同意する。
 ところが実際にはそのような薬の影響を調べる研究が行なわれることはなく、不安症、ストレス、不眠、および筋肉のけいれんなどの薬として医師の処方は続けられた。
 イギリスの国会議員や法律の専門家は、この文書を一つのスキャンダルであるとし、膨大な額に上る集団訴訟へと発展する可能性を予測する。イギリスには「知らぬ間に薬物依存」にされてしまった人が、現在およそ一五〇万人いるとされ、多くは脳傷害によると思われる症状がある。
「精神安定剤による不本意依存」を調査するジム・ドッビン委員長は、「薬をやめたあとも多くの人が身体的、認知的、そして精神的な問題を抱えた被害者になっている」と言う。
「これこそが、被害者が法的手段に訴えるために待ちわびていた爆弾書類になるものであると確信している。なぜ適正な追跡調査をまったく行なわなかったのか、なぜ安全委員会が設置されなかったのか、なんらの詳細な研究もなにもない。これは一大スキャンダルですよ」
 最初はまったく無害な薬として宣伝され、一九六〇年代における世界初のワンダー・ドラッグ(奇跡の特効薬)として登場したベンゾジアゼピンは一〇年も経たないうちに、イギリスで最も一般的に使われる薬となった。現在の医師向けガイドラインでは、最長四週間の処方とされる。
 しかし、数日の服用でも依存症になることがあり、服用をやめると灼熱感や視野のゆがみ、頭痛や致命的な発作といった禁断症状を起こす場合がある。数カ月、あるいは数年間の服用の場合は、永続的な神経的痛み、頭痛、認識機能障害、および記憶喪失もある。
 しかし三〇年たった今も、それが薬物性の脳傷害かどうかを確認する医学的研究は行なわれていない。研究者のレーダー教授はこう述べた。
「長期の飲酒が永続的な脳の変化を引き起こすことがあるのはわかっていましたから、結果に驚くことはなかったですよ」
これでもまだ、あなたは不安を病気だと思うだろうか? そして不安ごときのためにこれほど危険な薬を飲むだろうか?

以上、抜粋終わり

薬というのはどんな薬でも、

一定期間服用していると、

依存性が出てきます。

これは体が薬を飲むことに対して、

慣れてしまうために、

それが当たり前と体が認識してしまうためです。

そのため薬の効きが悪くなってくるので、

さらにきつい薬を飲むことになります。

こうして依存性が上がっていくわけです。

あなたはそれを望みますか?

病気を治したいのであれば、

何か他の有効な方法を選択する必要があります。

それはあなた自身が探さなければなりません。

その行動が病気を早く治す行為につながるのです。

あなたの決断が試されるときなのです。

うつ病からの脱出ー顧客マーケットを掘り起こす「不安障害・社会不安障害」1ー

今日は「不安障害」について考察していきます。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

緊張する人は社会不安障害!?
 この二つもうつ病と同じくらいいい加減な病名である。その名のとおり、何かについての不安を持っているだけで「不安障害」となってしまう。それが社会的なことであれば、「社会不安障害」である。
 会社でプレゼンするとき、緊張してしまうのは社会不安障害だとされている。
 これまでの論理同様、本来これらの反応というのはむしろ人間として自然な反応である。この世に生きていれば何かに不安を感じるのが人間というものである。予想不能な出来車が起きればパニックを起こすであろうし、メンタルが弱ければ大舞台で緊張して声も出せないのは必然でしかない。
 緊張すると汗をかく、発表時に声が震える。こんな程度の当たり前の出来事が、今の時代は精神疾患として認可されている。その人のいったいどこがおかしいというのか? どんな場面でも緊張せず、完璧な行動がとれない限り精神疾患だといっているのに等しい。本来プレゼンが苦手な人にはさせなければいいし、それでも克服しだいと自ら願う人は、経験を積むことで解消できる出来事であるはずだ。それは根性とか気合いでも別にかまわない。
 これらが病気として扱われるようになったのには二つの大きな理由がある。
 一つは私のように正直に、不安障害などなくただ人間的に弱いだけだと言ってしまうと、ドクターハラスメントであるとか、人権侵害のようにとらえる風潮ができあがってしまったことだ(ここも私が自分を「人でなし」と呼ぶ一つの理由である)。
 目の前の出来事を病気としてとらえるのではなく、自ら乗り越えようと努力している者たちは評価されず、ちょっとした不安に対して逃げて近づこうとしない人たちのほうが「病気」とされて、大切に扱われることになってしまったわけである。
 私はこの流れがまっとうなものとはとても思えない。少なくとも古来から人々はそのような不安があるのは当然と認識し、越えるも越えぬもその人次第として判断してきたからである。

「病気」を作れば儲かります
 もう一つはこの生理的な反応を病気と定義しさえすれば、精神医療界や心理学界が莫大な利益を手に入れることができるからである。
 なにせほぼすべての人に存在する反応だから、これをいったん世間的な常識に仕立て上げることができれば、後はやりたい放題である。
 彼らは「病気だから心配いらない」と優しい顔をして近づき、その裏では治ることのない長期的な優良顧客をゲットできたと喜んでいる。他の重篤な精神病と違って話も通じるから、医師としては楽なことこの上ない。
この結果、日本の抗不安薬売上げはダントツ世界一位であり、二位以下を大きく引き離している。
あるエピソードを紹介しよう。日本でも権威ある医学雑誌として知られる「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(The New England Journal of Medicine)」の上級エディターを務めたマーシャ・エンジェル医師の「製薬企業と医師の腐敗構造」と題された記事に登場する、パキシルの製品マネージャー、バリー・ブランドはこう語る。
「まだだれも気づいていない顧客マーケットを掘り起こして拡大させることは、マーケッティングをやる人間の夢だ。社会不安障害を使ってわれわれがやっているのがそれだ」
 つまりアメリカ精神医学界と製薬会社が総出で、病気でないものを病気にしようと躍起になっている、と告白しているわけだ。
 他にも権威ある精神科教授であるローレン・モシヤーや、精神科医ステファン・クルシェフスキーは次のように述べている。
「DSM第四版は、精神医学が、概して医学によって認められるように模造して作ったものです。内部の者は、それが科学的というよりも政治的な書物であると知っています。
(略)DSM第四版は、そうした最大の欠陥にもかかわらず、権威ある書物となり、カネを生み出すベストセラーになりました」
「私たちは、あなたに継続的に薬物を与えることができるように、気分や考えの正常な変動に対していくらでも診断上のレッテルを作り出すことができる。(略)疾患を作り出すことに関しては、精神医学に並ぶものはない」

以上、抜粋終わり

不安ない人などこの世に存在するのだろうか?

恐らくいないのではないかと思う。

何故ならこれは人間にある当たり前の感情だからだ。

ただこれを瞬時に問題なく処理できる人が、

悟りを開いたと言われている人だと考えている。

しかし普通の人は、

不安をいだけば、

どんなに精神力のある人でも、

しばらくは囚われてしまうのではないかと思う。

ただ人によってそこからの脱出が早いか遅いかだけの違いではないだろうか。

病気を作り出すのは、

それは産業だからだ。

医療分野もやはり産業である。

医薬品も売れなければ当然成り立たないのであるから当然のことである。

ただその売り方が問題かどうかである。

みなさんはどう考えるだろうか?

これによってあなたの医療に対する考え方、

利用の仕方が変わるはずである。

さあ、熟考してみよう!

うつ病からの脱出ー万人に当てはまる「強迫性障害」ー

今日は「強迫性障害」について考察してみます。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

強迫観念と強迫行為
 強迫性障害は一般人にはなじみが薄いので、強迫性障害に対するアメリカの精神診断基準(DSM)を示してみよう。

 強迫観念とは、
① 反復的、持続的な思考、衝動、または心像であり、それは障害の期間の一時期には、侵入的で不適切なものとして体験されており、強い不安や苦痛を引き起こすことがある。
② その思考、衝動または心像は、単に現実生活の問題についての過剰な心配ではない。
③ その人は、この思考、衝動、または心像を無視したり抑制したり、または何か他の思考または行為によって中和しょうと試みる。
④ その人は、その強迫的な思考、衝動、または心像が(①の場合のように外部から強制されたものではなく)自分自身の心の産物であると認識している。

 強迫行為とは、
① 反復行動(例…手を洗う、順番に並べる、確認する)または心の中の行為(例…祈る、数を数える、声を出さずに言葉を繰り返す)であり、その人は強迫観念に反応して、または厳密に適用しなくてはならない規則に従って、それを行なうよう駆り立てられていると感じている。
② その行動や心の中の行為は、苦痛を予防したり、緩和したり、または何か恐ろしい出来事や状況を避けることを目的としている。しかし、この行動や心の中の行為は、それによって中和したり予防したりしようとしていることとは現実的関連を持っていないし、または明らかに過剰である。

 これをもう少し砕いて言うと次のようになる。
「何で繰り返し〜〜が頭に浮かぶのか」「心配しすぎだが頭から離れない」「無意味だがやめられない」「ばかばかしいことを悩んでいるがやめられない」などの考えが出て、しかもその不合理さを認識している状態が強迫観念である。
それらが実際に手洗い、順番確認、鍵確認、儀式など(他のどんな内容でも)、嫌でも実際にやらざるを得ない状態になっているのが強迫行為である。

人ならだれでも強迫性障害?
 確かにこの強迫観念がつきまとって苦しいという状況はあるかと思う。
 しかしよく考えれば、頭の中に何らかの考えがめぐって悩んだり苦しいのは、人間としては必然なのではないか?百歩譲って考えても、それを助けるのは医学の役割ではなく他の学問や分野の役割である。
 強迫性障害の特に強迫観念は、頑固、信念、執着、妄執など、似たような意味の言葉に置き換えることが可能だ。それはつまり強迫性障害とは病気ではなく、普遍的な存在であることを示唆するものだ。逆にいえばこの定義で厳密に考えれば、やはりすべての人間が何らかの強迫性障害になってしまう。
 人間が知恵や知能を持っている以上、こだわりや強迫観念を持つのは必然でしかなく、そのこだわりが変わるときとは、大きすぎる外的変化が起きたときか、こだわりを持つ人が負けたときくらいしかないはずだからだ。
 しかし現実の精神医学ではそのようには扱われない。強迫性障害は脳の病気であり(相変わらず科学的データは一切ない)、そのため投薬を受けねばならないと教科書に記されている。
 心理学の教科書には認知療法といって、思想や発想を「認知転換」つまりスイッチせねばならないと書いてある。
 しかしいったいどれだけの場合にそのような治療が必要だというのか?
 われわれは社会観念を押し付けられた結果、認知転換して自分のこだわりを放棄せねばならないよう、すでに洗脳されているのではないか?

抗精神病薬の問題
 もう一つ問題があって、それは抗精神病薬についてである。これも科学的にはいまだ未解明だが、抗精神病薬の副作用の一つに強迫観念や強迫行為の増加がある。これは教科書にも添付文書にもほとんど載っていないが、多くの精神科医が指摘するところである。
 そして薬物の副作用であるにもかかわらず、強迫性障害と診断されるケースが跡を絶たない。薬を飲むから必ず副作用が出るわけではないが、時系列によってきちんと評価しなければ、あなたもすぐわけのわからない病名をつけられてしまうのが、精神医療という詐 欺世界の真髄だ。
 また強迫性障害には抗うつ薬の大量投与が基本的治療であると、教科書には記されている。
 しかしこの大量療法によって、強迫性障害の状態が良くなった人を私はほとんど知らない。良くなったという医師がいたとしても、その評価は非常に主観的で抗うつ薬を大量に投与したことによりハイになったり、ラリつて強迫観念が一時的にすっ飛んでしまっている状態をいっているだけである。そのうえ大量に抗うつ薬を投与するわけだから、当然さまざまな副作用や依存形成をもたらすが、糖神科医はそのことを無視している。
 その結果、また新たに精神科医にとっておいしいお客様が一人できあがるわけであり、これも詐欺といえば詐欺的なやり方だ。
 強迫観念など放っておけばいいのである。ここでも私の「人でなし意見」が出るわけだが、観念による苦しみや悩みは人間にとって必然であり、精神医学的に治療などしてはいけないものなのである。
 もし治るとしたら、それは社会や家族のごたごたを通して軟着陸していくものでしかない。現代の社会的常識に惑わされているものも多数存在するし、こんなものを病気扱いするから薬害が増え、詐欺に引っ掛かる人が増えるのである。

「手洗いを頻繁にする青年」のケース
 ここでもあるケースを紹介しよう。強迫性障害と診断する愚かさと、強迫性障害に対する治療の恐ろしさがよくみえてくる。
 ある青年は風呂に時間がかかる、手洗いを頻繁にしてしまうということで精神科を受診した。通常どおりの診療の上、強迫性障害だと診断を受け投薬を開始することとなった。
 薬の内容は以下のとおり。
・パキシル六〇㎎、ドグマチール一〇〇㎎、メイラックス二㎎
このパキシルという薬は、これまでにも多数出てきた悪名高いSSRIである。パキシルに限らずルボックスなどにおいても、多量処方により強迫性障害を改善させるというのが、精神科の一般的な薬物治療だ。その後このケースはどうなったか?
・家族に対して攻撃的、暴力的な性格に変貌した。
・自傷行為を行なうようになり、自殺願望が強くなった。
・幻覚が出現した。
・発狂したり叫んだりするようになった。

 これらはすべて受診前には何一つ存在しない症状ばかりである。
 その後、この青年はいろいろと情報をたどり、当院で減薬への道についた。
 二〇一二年の段階でパキシルは一〇㎎、メイラックス二㎎に減量中であり、ドグマチールは中止することができた。これらの副作用や禁断症状と呼ぶべき現象はほぼ消失している。
 ここで特筆すべきことは、お風呂に長く入りすぎてしまうという強迫観念が、現在ほとんど消失してしまっているということである。これは決して薬が効いたという類のものではない。薬を飲むことによってもたらされた予期せぬ強い苦痛により、本人の中でこのままではいけないという認知転換がはかられたのである。前述した大きな外的変化が起こったわけである。
 このようなケースは枚挙にいとまがない。それでもあなたは強迫性障害とやらを治療し、薬物を飲もうとするだろうか?

以上、抜粋終わり

過剰にあることに関して反応してしまうということは、

健康な人にもよくあるこだと思います。

私にもそのようなことは時折あります。

つまり強迫的な観念は誰にでも普通にあるのです。

ただそれを病気と考えてしまうところに問題があるのです。

意識があることに過剰に集中してしまえば、

過剰に反応してしまう。

それは人間として当たり前の反応です。

ただその時パニックになっているので、

正常な反応ができず、正しい判断ができなくなるわけで、

だれでもパニックになれば起こることです。

これを精神科の病気と定義してしまうことにも問題がありますが、

相対的に現代人の耐ストレス性が低下しているため、

すぐに病気と受け入れてしまうのではないかと、

私は考察しています。

うつ病からの脱出ー大々的キャンペーンの成果「躁うつ病」ー

今日から「躁うつ」について考察していきます。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

うつでないから操うつ病?
 二〇一一年現在で双極性障害(躁うつ病)や気分変調症という診断が、爆発的に増えてきた。これには二〇一一年に入って精神医療界が大々的キャンペーンを張ったということが深く関係しているが、なぜキャンペーンを張ったのかということを考察しなければいけない。
 たとえば日本イーライリリー社は一時期、新聞の折込みチラシとして躁うつ病の治験広告を出した。主力製品である統合失調症治療薬「オランザピン(商品名ジプレキサ)」の追加効能として、躁うつ病への適用を認めさせるための治験を行なうからである。
 つまり近年に入って躁うつ病のキャンペーンが行なわれるようになった一つの理由は、今まで統合失調症のみの適応処方であった薬たちを、より売りたいがための戦略ということになる。実際ジプレキサだけでなく大塚製薬のアリピプラゾール(商品名エビリファイ)も、二〇一二年に躁うつ病治療薬の認可を受けることが決定している。
 もう一つはうつ病が治せないことや抗うつ薬の副作用をごまかすための戦略として、躁うつ病のキャンペーンを張っているということである。
 二〇一二年のNHKスペシャルにおいても番組で明言されている。
「うつ病患者の四割程度は、うつ病でなく躁うつ病だった」「抗うつ薬を飲んで治らないうつ病は躁うつ病である」と放送したのである。
 ちなみにアメリカだとその割合は四割ではなく七割だと述べられている。
 少し考えればおかしいと思われないか。これは精神科医が四割(七割)も誤診したということにもなるし、それ以前にうつでないから躁うつ病と決められるものでも、薬が効かないから別の病気と決められるものでもないはずである。もともと薬害や医原病しかない領域が精神医学領域なのだから。つまりここでもあらゆる意味において、精神医学の詐欺っぶりが示されているのだ。

本物の躁うつ病とはどんなものか?
 一般の方は躁うつ病という病気を、気分が上がったり落ちたりする状態だと考えているだろう。実際はまったく違う。それは生理的な気分変動であって普通の範囲にすぎない。その程度の気分の波がない人間のほうが普通ではないのである。
 しかし現在の専門書やネット上の知識を参考にすれば、「気分が上がったり落ちたりする」程度で躁うつ病という判断に落ち着いてしまう。
 では、本当の躁うつ病とはどんな状態か?
 本来の躁うつ病の条件を私見として述べるとすれば、
① 薬を飲んでいないまっさらな状態で
② 躁のときには暴れたり、誇大妄想があったり、裸で踊ったり
③ まず周りが対処しきれるレベルではないエピソードがあり
④ かと思えば気分が落ちてくると動けず、食えず、外に出ず
⑤ そんな状態だからもちろんイライラもしないし、自殺さえ考えられない
⑥ ということを自然に複数回繰り返す
 から躁うつ病である。昔は精神分裂病と並んで二大精神病であった存在が、気分の波ごときで定義されるようなシロモノのはずはない。
 この躁うつ病という状態は確かに存在するとは思う。科学的にはまだ未定(やはり未解明)だが、一部は脳内や脳以外のホルモン動態で説明がつくのだろう。
 しかしこの条件を満たす躁うつ病の人が、いま躁うつ病だと診断されている人の何割いるか、といわれれば非常に少ないと断言できる。
 ここはデータなどないので個人的意見で恐縮だが、前述の基準を満たす躁うつ病は全体の五%にも満たないだろうというのが私の実感である。つまり九五%以上は躁うつ病ではなく、薬を飲む意味がない人たちであり、詐欺に引っ掛かっていることになる。
 似たような概念に気分変調症があるが、気分変調症を躁うつ病と比べれば、躁状態はなく普通に近い状態とうつっぼくネガティブな感じが交互に来る。これもまた生理的に当然ある状態だが、この気分変調症も気分障害に含まれたり、躁うつ病のように扱われるようになってきている。精神医療界や心理療法界にしてみると、まさに病気の売り込みや薬の販売作戦が大成功を収めているという感じだろう。
 これだとロボットのように気分を完壁にコントロールできない限り、すべての人を気分障害だと定義できる。これについては後述の「気分変調症」の項も参考にされたい。

躁うつ病診断の本当の理由
躁うつ病を宣伝する目的は、もちろん新しい躁うつ病薬の売り込みであるし、今まであったリーマスやデパケンなどの躁うつ病薬の売り込みでもあるし、これから認可が通るだろうメジャートランキライザーの躁うつ病に対する適用拡大でもあるだろう。
しかし一番の目的は抗うつ薬の副作用を隠すこと、ごまかすことである。これを別の視点で考えてみることとしよう。
教科書的には躁うつ病に抗うつ薬を投与することは禁忌である。うつより躁が怖い病気なのに無理やりハイにしたら、躁転してトンデモないことになるのがオチだ。またすぐに躁転しなくてもラビッドサイクラーといって、操と鬱がどんどん切り替わる現象が起こりやすくなるので危険なのだ。
ここだけでも躁うつ病と診断しながら、抗うつ薬をどっさり出している精神科医にとっては、治癒させないことで長期的利益を得るという詐欺に成功しているのだが、真の問題はそちらではない。
別に躁うつ病ではなかった、もっといえばなんでもなかった人に、抗うつ薬を授与することで強制的に躁転してしまった後、知識のなさから精神科医に「あなたはうつではなく躁うつ病だったようです」といわれて、納得して引き続き詐欺に引っ掛かっているケースが大半なのである。
躁うつ病という、より重い病名のイメージを植え付け、長期的な優良顧客を獲得するのが狙いである。
結局、うつ病から躁うつ病へのシフトは、このような精神科医のやり口や薬の副作用をごまかすため、そして新たな詐欺に引っ掛けるためにこそ強調されてきたのかと感じる。
もう大半の人がそのやり方にだまされているといえよう。

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以上、抜粋終わり

矛盾だらけのお話ですね。

薬が効かないから別の病気だとは、

だいたい精神医療のほとんどの薬は効かないのですから、

むちゃくちゃな話ですね。

医者は権威があるから何でも勝手に定義できますが、

しかしそれが本当に科学的かどうかは別問題です。

あなたが今飲んでいる薬は本当に効いているかどうか、

よく確認してください。

それがうつからの脱出につながるかもしれません。

うつ病からの脱出ーいい加減でおかしい病名「うつ病」3ー

今日は第3弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

じつは最も多い「医療薬物性うつ病」
 もう一つ大事な存在がある。それが「医療薬物性うつ」である。医療用精神薬は決して安全な薬などではなく、覚醒剤や麻薬や麻酔薬もどきの物質でしかないので、量が多かったり長年にわたって飲み続ければ、必ずうつ状態や認知機能低下をもたらす。
 割合としてはこれが最も多いのだが、日本人の大部分は気づいてさえいない。一般の人はうつが何年も続くのは病気のせいだと思っているが、その場合ほとんどすべてが薬物性であり、あとはわがまま病である。わがまま以外のほほすべては、無投薬であれば一年以内に回復する。
 一つの研究を紹介しよう。
 抗うつ薬、SSRIが長期にわたってどのようにセロトニン作動系に影響するのか調べた、オランダ人治験総括医らによる研究である。研究では、シタロプラム(抗うつ薬、商品名「セレクサ」)をラットに二週間与えたのち(対照群も置く)、突然投与を中止する群、さらに引き続き三日間投与する群に分ける。その後ラットを解剖し、脳組織を分析。
その結果、薬剤投与を維持したラットでは、一七日間後のセロトニン量が普通のラットと比較して「脳の九領域で平均六〇%減少」していた。この変化は薬への代償性反応として起こると推測されている。見せかけとしてセロトニンが増えたとしても、結果的には、脳組織におけるセロトニン量が最後は著しく使い果たされた状態になる。
 セロトニン作動系がこの劇的な変動を受けていた退薬期間中、ラットは大きな音に対して「強い行動反応性」を示した。人がSSRIを断薬した場合、「攻撃性、易刺激性、扇動、不安、および抑うつ気分」を特徴とする「断薬症候群」を経験するのと同じである。
 こうした結果は注目に値するものではあるが、驚くにはあたらない。脳内セロトニンがSSRIによる「長期」の処方に反応して激減するという研究結果は、今までの研究とも一致している。また、SSRIの離脱に開通して起こる問題も、すでに広く知られている。
 これまでの内容をみれば、うつ状態の原因や除外診断も追究せず、どんな精神的問題もすべてうつとして扱い、病気であるため薬を飲むべきであると推奨する風潮がいかに詐欺であり、犯罪的であるかわかるであろう。抗うつ薬を飲むということは覚醒剤を飲むことと大差はなく、脳は不可逆的な障害や依存、禁断症状のリスクを負う。それでうつが本質的に改善すると思う人はいるだろうか?
 精神薬を飲んだところでうつは改善したりしないのである。改善しないだけならまだしも、禁断症状と脳の損傷を生み出し、長期的にはより悪化するのだ。百歩譲っても薬は本当に衰弱死寸前のうつに限り、一時的に使われるべきものなのである。

以上、抜粋終わり

うつ病の薬が効かないというより、

治らないというのは、

服用されている方が、

一番理解されているのではないでしょうか?

つまり、

薬物療法では治療効果があまり期待できないということです。

ならば、他の方法を考えるべきではないでしょうか?

他の方法とは、

東洋医学や代替医療と言われる分野です。

日本では医療は西洋医学しか認めれれていませんが、

他国では西洋医学以外にも、

医療と認めれれているものがたくさんあります。

つまり、医療とは制度上の問題なので、

他にもたくさんの治療方法があるということです。

この分野で一番検討しやすいのが、

その国に昔からある、

伝統医療として根付いているものです。

何故なら昔からあるので、

そのノウハウが蓄積されています。

残念ながら、

今の科学では解明されていない部分がほとんどですが、

しかし経験医学として、

西洋医学よりもずっと歴史があり、

実績は古くからあるのです。

ただ現在は多くの人が利用しなくなってしまったために、

その素晴らしさを知らないだけです。

我が国には伝統医学として東洋医学があります。

具体的には漢方や鍼灸です。

伝統医学としてのノウハウを継承している方は、

ほんの少数ですが、

しかしどの都市にも

知られていないだけで、

少なからずいるはずです。

その少数の治療家を、

インターネットを使えば、

今なら簡単に探すことができます。

ホームページを見れば、

どんな治療をしているのかは簡単にわかります。

たとえば鍼灸なら、

経絡治療や中医学治療というようなのが、

本来の東洋医学的治療になります。

現在の鍼灸の世界は、

8~9割は東洋医学的治療をしていません。

特に整骨院の鍼灸はほとんど西洋医学的な治療です。

だから鍼灸=東洋医学だとは思わないでください。

治療を受ける前に必ず、

どういう治療かを確認してください。

また、近年日本にも多くの素晴らしい代替医療が入ってきています。

ホメオパシーはその代表的なものと言えるでしょう。

ただし代替医療は制度化されていないため、

その医療技術は個人差が大きいです。

そのことを踏まえて検討してください。

うつ病からの脱出ーいい加減でおかしい病名「うつ病」2ー

今日は第2弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

「うつ」のほとんどは社会ストレスが原因
 たとえば以下の例をあげてみよう。このような論文は挙げればきりがないほど存在する。海外事例をみても、日本で販売中のパキシル、ルボックス、デブロメールなどの被害は著しいものがある。
【プライマリ・ケアにおける不安障害と抑うつ障害の転帰】
 うつ病患者一四八人を対象にイギリスで行なわれた研究では、服薬していない患者群は六カ月で症状が六二%軽減したのに対し、投薬治療群ではわずかに三三%であった。
【再発にかかわるうつ病治療】
 オランダの研究。抗うつ剤による薬剤治療を受けずに回復した患者は、七六%でその後一度の再発もなかったのに対し、抗うつ剤の投与を受けた患者では五〇%だった。
【抗うつ薬による治膚の公衆衛生への影響】
 九五〇八人のうつ病患者を対象にカナダで行なわれた研究。うつ状態にあった期間が、投薬を受けた患者では年平均一九週間であったのに対し、薬剤を服用しない患者は一一週間であった。この研究結果から、「抗うつ薬による治療は、気分障害の長期経過を悪化させる可能性がある」とした仮説が裏付けられたと結論。

 いま、うつ病と呼ばれている多くの人が、ただのノイローゼであったり社会ストレスによるものでしかなく、また一部分は(人でなしといわれようが医師失格といわれようが)わがまま病である。そのことがすべて混同されてうつ病診断になっているため、これだけ社会病と扱われて、かつ治らない数が圧倒的に多いのだ。
 確かにうつ状態は存在するだろう。しかしそれは病気ではなく、時系列や理由を追えばわかるものが大半なのである。

 であるならば、少なくとも薬を用いるようなものではないし、飲むと逆効果でさえある。もしノイローゼや社会的な抑うつ状態に対して抗うつ薬を安易に飲むと、以下のようになりかねない。
 二〇一〇年七月と八月の報道に、犯人が「抗うつ薬」「うつ病の薬」を服用していたと明示のあった殺人事件のニュースを集めたものがある。
・七月一〇日『複数の抗うつ薬』イギリス男性、三人を射殺。一週間後、自殺。
・七月一五日『レクサブ皇テキサス州の男性、生後六カ月の幼児を殺害。
・七月一六日『複数の抗うつ薬』インディアナ州の〝産後うつ〞の母親、生後三カ月のわが子を殺害。
・七月一六日『うつ病の薬』テキサス州の女性市長、娘を殺害ののち自殺。
・七月一九日『セレクサ』親友を殺害したオクラホマ州の男性、死刑の求刑に対し専門家は薬物の影響によるものと主張。
・七月二三日『うつ病の薬』カナダ人女性、近所に住む一二歳の自閉症の子どもを殺害。
・七月二三日『うつ病の薬』ミシガン州の女性、障害を持つ三一歳のわが子を殺害、そして自殺。
・七月二四日『うつ病の薬』イギリスの殺人事件容疑者、うつ病薬を服用。
・七月二六日『うつ病の薬』マレーシア、息子が母親を殺害。
・七月二七日『うつ病の薬』ペンシルバニア州の女性、四〇歳の娘を殺害、後に自殺を図るも未遂。
・八月六日『プロザック』ネブラスカ州の母親、一二歳の娘を殺害。
・八月一〇日『抗うつ薬』三週間前に抗うつ薬を中止したばかりのメリーランド州の母親、自閉症の娘を殺害。
・八月一〇日『プロザック』イギリス女性、三歳になるわが子を殺害。
・八月一一日『ウエルブトリン』ネバダ州男性、ガールフレンドを刺殺。
・八月二日『抗うつ薬』ニュージーランドの女性、浴槽で生後二二カ月のわが子を溺死させる。
・八月二日覆数の抗うつ薬』ミシガン州の男性、抗うつ薬の服用を開始して間もなく男性を殺害、その後自殺。
・八月三日『抗うつ薬』南アフリカの刑務所看守、妻を殺害。抗うつ薬の不規則な服用によって引き起こされた可能性も。
・八月一八日『抗うつ薬』 ミネソタ州の男性、妻の留守中に生後六カ月のわが子を溺死させる。
・八月一九日『抗うつ薬』 ウィスコンシン州のイラクの帰還兵、妻と子どもを殺害、その後自殺。
・八月二五日『抗うつ薬』暴力には縁のなかった男性、アルコールと抗うつ薬の同時摂取による異常行動で殺人。
・八月二六日『抗うつ薬』 ペンシルバニア州の一三一歳の女性、母親を刺殺。
・八月三一日『ゾロフト』 フロリダ州の男性、殺人。

 これは外国の事例であるが、日本でも新聞の社会面をめくれば同様の事件が頻出している。もっとも日本の場合はそれが薬物の作用によるものとはほとんど明示されないが。
 なぜこのようになってしまうのか?
 ひと言でいえば、抗うつ薬を売るための販売戦略にだまされているということである。その薬の副作用で患者がどうなろうが、もともとなにもできないとか自殺というイメージがつきまとううつ病であるから、製薬会社はいっこうに困らない。全部患者や精神科医のせいにできる。
 またうつ状態を示す精神科以外の疾患は多いが、現代で扱われている「うつ病」の多くでそのことが見逃されている。一例をあげれば次のようなものがある。

①脳出血や脳梗塞などの器質的脳機能低下からくるもの
②パーキンソン病、多発性硬化症などの神経疾患によるもの
③内分泌系の異常があるもの(甲状腺、副腎、副甲状腺など)
④膠原病などが隠れているもの
⑤歯科治療後の後遺症や金属中毒など
⑥更年期障害や性ホルモンに関係しているもの
⑦血糖調節障害や低血圧由来のもの
⑧ミネラルやたんばく、脂質不足からくる栄養障害
⑨季節性のもの(科学的には不明だが因果関係ははっきりしているもの)
⑩知的障害や自閉症に(環境変化についていけず)続発するもの
⑪アルコールによるもの
⑫その他の物質(違法ドラッグ、鎮痛剤、カフェイン、ニコチン)によるもの

以上、抜粋終わり

うつ病の薬は一時的に効果があるように感じることもあるかもしれませんが、

結局は症状をより深刻にするようです。

また原因もいろいろありますが、

私は一番大きい要因は、

きちんとした食事が取れていないために、

栄養不足となり、

体の機能障害や睡眠障害を引き起こし、

それが耐ストレス性を押し下げるため、

うつ病になってしまうのではないかと思っています。

上記にもあるように、

うつ病の薬はさまざまな問題を起こすようです。

そのことを踏まえて服用するかどうかを再検討してください。

うつ病からの脱出ーいい加減でおかしい病名「うつ病」1ー

今日から「いい加減でおかしい病名「うつ病」」というタイトルです。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

脳のどこの疾患なのか?
 「うつ病」こんないい加減でおかしい病名はない。しかしこの言語をいまやあらゆる日本人が使っている。これらはすべて製薬会社と大手メディアの洗脳がもたらしたものだ。
 たしかにうつという状態は存在するだろう。ならばなぜおかしいのか?
 一つは気分が沈む、やる気がしないという状態をうつ病と呼ぶのなら、それはだれにでも訪れる精神状態であり、病気であるというにはあまりに感覚的すぎる出来事だからだ。また不愉快で暴れることも好きな遊びもできるが、仕事ができないことは教科書的にはうつ病であるらしい(新型うつ病という)がこれも馬鹿げている。
 もしうつ病というものが存在するとしても、それは気力体力ともに低下しきって何もできない状態であって、暴れたりイライラしたりリストカットしたりできる人間をうつ病などとは言わない。これは医師、患者ともに拡大解釈の極みなのである。
 ひと昔前、うつ病を「わがままと呼ぶな」という意見が駆け巡った。うつ病は脳の疾患であり自分でどうにかできる代物ではないと高らかにうたわれたが、では脳のどこの疾患なのか、何が原因なのか聞かれてきちんと答えられるものは一人もいない。
 うつ病にはセロトニンの不足が関係していると多くの医師が訴え、メディアに掲載されてきた。しかしこのことは脳科学的にはすでに否定されている。
 たとえばうつ病と呼ばれる一〇〇〇人を集めてきて、研究費をかけて脳のセロトニン濃度を計測し、全員が低いなどというデータはないのだ。それどころか医療現場でもセロトニン濃度が低いかどうか、計測することさえ難しい。にもかかわらず精神医療の現場ではセロトニンを上昇させる薬が使われる。いまだにどの教科書、どの論文を見てもセロトニン理論というのは仮説にすぎないのだ。
 このことはうつ病の理論そのものが非科学的であるという証明である。そればかりではなく、セロトニン濃度が低くないのにセロトニンを上げる薬を使ったらどうなるのか、そこには悲劇的な結果が待っているのである。

幼児期に精神治療薬を使うと…
 たとえばサンディエゴで開かれた北米神経科学学会(二〇一〇年一一月二二〜一七日) の総会で、幼年期に精神病の薬物治療を受けることが脳の正常な発達をどの程度妨げるかを、動物実験で研究した四件の発表があった。
 「幼児期」あるいは「胎児期」に精神治療薬を使用した場合、比較的短期間でも、成熟して大人になったのちの脳の機能に障害が見られたという。
 マウスの胎児脳に抗うつ薬シクロプラム(商品名セレクサ)がどのように影響するかを発表したのはワシントン大学の研究者。胎児発育の過程では、SSAという神経活動が重要な役割を果たすが、研究者はその活動がシクロプラムの胎児への投与によって変わってしまうことを発見。研究者は、「抗うつ薬の投与は胎児の後脳の発達に有害な影響がある可能性を示唆する」と結論。
 またメリーランド州聖マリアカレッジの研究者による研究では、子どもの雄マウスを生後八日から三一日の間、乳を通して抗うつ薬フルオキセチンに被曝させる。その後は、大人になるまでその子マウスには何もせずにそのままにしておいた。成長後、このマウスは正常なマウスに比べ、はるかにぎこちなかったと研究者は報告。
 さらにメリーランド大学とレスブリッジ大学(カナダ)の研究者による二つの関連研究では、オランザピン(ジプレキサ)の幼いマウスへの投与を研究。
 その研究では、生後二八日目から三週の間、オランザピンをマウスに授与する。成長後、これらのマウスには「作業記憶に有意な障害があった」とする。研究者は、「これらのデータは、オランザピンの青年期の投与は、長期の行動欠陥パターンを引き起こすことを示唆する」と結論。
 この研究は、こうした薬に暴露することが、それがたとえ短期間であっても、永続的な欠陥を引き起こす可能性があることを懸念させるものである。
 そして、「人間で言えば胎児期、あるいは幼児期にあたる段階での精神薬への暴露は長期の行動機能障害をもたらすことを、ますます多くの動物実験が示すようになってきている」とする。
 つまりマウスの実験では、精神薬を授与すればするほど脳には不都合が生じるわけである。もちろんこのことはマウスだけの話ではない。

以上、抜粋終わり

上記のように、

うつとは精神状態であって、

本当は病気であるかどうかは疑わしい。

昔はそんな病名の病気はなかったが、

医者が病気だと定義したので、

病気になってしまった。

しかし科学的な根拠は未だに存在しない。

つまり、その意図するところはなんなのかというところがポイントだ。

うつの場合、

その状態がどこから来ているのか、

何に起因いているのかを、

もう一度探る必要がある。

その一つのヒントが食事である。

あなたのうつの原因は食事にあるかもしれないということである。

甘いものを食べ過ぎていないかどうかチェックしてみよう。

うつ病からの脱出ーこれは病気ではない 3ー

今日は第3弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

入院なんかしなきゃよかった
 最後に一例を提示する。このケースは『精神疾患・発達障害に効く漢方薬』に掲載したケースである。題名は「入院なんかしなきゃよかった」だが、現在の状況を踏まえてどう考えるべきだろうか?
*当時一五歳の女性(二〇一一年で一七歳)
 幼少時は双子ということもあってかおとなしくて、友達の輪の中に積極的に入って遊ぶのは苦手で偏食の多い子だった。手のかからない子だったが、姉の面倒を見るくらいのしっかりもの。
 中学生になると、ますます真面目で成績もトップクラスになり、友達からも先生からも信頼を得ていたが、中学校二年生の後半、男子生徒数人から「勉強ができて、クールぶってるところがムカつく」といって、ひどいいじめに遭った。中学校三年生になってからは不登校になっていった。
 その後、なんとか保健室登校を続けていたが、だんだんと眠れなくなり、ついには不登校になってしまった。
「独りで家にいると、だれかがいるような気がして怖い」と訴えるようになり、親は児童精神科を標榜している個人クリニックを受診させた。
「統合失調症の初期段階(初期統合失調症)」と診断され、ショックながら母親は治療に専念させようと考えたが、父親はどうも腑に落ちない。だれでもありうることではないかと考えていたからだ。
【最も飲んでいたときの処方内容】(一日量)
・リスパタール(抗精神病薬/リスペリドン)……………・四㎎
・ベゲタミンB(睡眠薬・抗精神病薬/合剤)・……………一錠
・アキネトン (抗パーキンソン病薬/ビペリデン)………・二㎎
・デパケン(抗てんかん薬/バルブロ酸ナトリウム)…三〇〇㎎
・ピレチア(抗ヒスタミン薬)……………………・……二五㎎
・ロヒプノール(睡眠薬/フルニトラゼパム)……………・二㎎
・ベンザリン(睡眠薬/ニトラゼパム)……………五㎎(頓服)

 医師は、少しでも状態が良くないことを伝えると、三〜七日くらいで薬を変えた。結局、通院していた一カ月半の間で、ほとんど全種類の非定型抗精神病薬を投薬された。ジプレキサという薬を飲んだとき、女性は「この薬を飲むとダメ。イライラする!」と訴え、そのイライラはずっと治まらないまま。この医師に不信感と不快感を抱き、前もって予約していた大学病院に転院した。
 ところがそこでも「断定はできませんが、統合失調症の可能性がかなりあると思います」と言われ、抗精神病薬の処方が続いた。女性の状態は一カ月もしないうちに悪化して、姉や妹に暴力を振るったり、包丁や刃物で自分を傷つけようとしたり、幻覚や幻聴を訴えて毎日暴れるようになってしまった。大学病院にこれ以上通院しても良くなっていく見込みがないと判断した家族は、担当医の勧めにしたがい県内最大の入院施設を持つ公立の病院に入院させた。
 しかしその大病院担当医は、当時の三カ月前まで、先の公立の大学病院で研修医だった。入院して二日目に家族が面会へ行くと、虚ろな目をしてロボットのように歩く女性の姿。自分の洋服もロッカーにしまえない。家族は病院の担当医に面談を申し込んで事情を聞こうとするが、聞く耳は持たない。その後、新聞に出た精神薬の記事から私のクリニックにたどりついた。
 現在多量の薬をすべてやめ、漢方のみを服用している。通信制の高校に通い大学を目指しているが、内気な感じはあるものの大きな問題は一切ない。
 しかし、『精神疾患・発達障害に効く漢方薬』の中で児童精神科医が下した診断は統合失調症、また私は最初アスベルガー症候辞と診断した。
 今を踏まえた結果はどうか?今患者には人並みの頑固さと対人の苦手さだけしかない。つまりそれは精神医学にのっとってさえアスベルガー症候群ではないということであり、私の判断もまた過剰診断だったということだ。この子はただの内気な少女でしかなかった。

発達障害という撒き餌
 一時期、精神科セカンドオピニオン活動においては、「誤診」という言葉が大流行りした。まるで自分たちが正しくて、相手(精神科医)がダメであるかのような印象を与える。言葉なので流行ったのだと分析しているが、本来どんな精神科医の診断にも正しいものなど一つとしてない。
 アスベルガー症候群を規定する科学的根拠は何もなく、ただ行動や思考の傾向によって判断するのみである。こんないい加減な診断体系が他にあるだろうか?
 こんな診断体系があるからこそ薬害や虐待や差別が起こる。逆に疾病利益も発生するのである。疾病利益の例としては、たとえば働きたくない人たちが自閉症の基準さえ満たしていないにもかかわらず、自らをアスベルガーだと名乗ったりするケースが多い。働きたくない理由として都合がいいからだ。
 他にも自分の主張を認めてはしいがために、発達障害という立場を利用する人間も多い。自ら発達障害だと名乗りながら堂々と講演までする人間がいるが、自己優遇もはなはだしい。本来の定義にのっとれば、講演などできないくらい先天的に社会適応力がなく、強迫性も強いからこそ発達障害なのである。自閉症協会の人間が自分を自閉症だと名乗りながら講演しているなど、もはや笑い話にしかならない。
 現在多くの精神科医が以前より発達障害の中身を理解するようになってきた。そしてその中身が長期的に儲けをもたらすこと、自分たちの罪(=精神医学のごまかし)をかき消す作用があること、親と共同で好きなように患者をコントロールできること、発達障害という概念そのものが、なんの病気でもない人を精神科医に引き込んでくる「最高の餌」になることを理解し始めたのである。
 これは後述する初期統合失調症よりタチが悪い。多くの患者や家族が、私の子どもは発達障害でしょうかと精神科医の門をたたくようになってきている。その大きすぎる罪をこの概念を広めた者たちが認めることは決してないであろう。詐欺にかけた犯人が詐欺ではないと否認し続けるように……。
 これらをすべて総合していえることは、発達障害と呼ばれる行動形態を考えるとき、この概念を広く適用することは、決してあってはならない愚行の極みだということである。この概念はもっと狭めねばならない。昔でいうカナー型自閉症や重症のものだけを自閉症と呼び、その他のものを発達障害の範疇に収めることは、まさに詐欺の温床となるのでやってはいけないのだ。そしていわゆる本当の自閉症だけを福祉と教育にうまく組み込むこと、それ以外に医療や福祉としてできることはないのである。

以上、抜粋終わり

何度も言うが、

薬では病気は治らない。

薬は症状を抑えるものであって、

治すのはその人自身の自然治癒力だからである。

しかし精神疾患は病理の機序が未だにわかっていないので、

すべて仮説による治療である。

だから症状に対しても本当に有効なのかどうかはわからない。

ほとんどの場合、

副作用の影響で逆に悪くなっていく。

それをよく知った上で、

どう活用すべきかを自分で判断してください。