うつ病からの脱出ー知っておきたい、あれこれ-

今回は「知っておきたい、あれこれ」というテーマでお伝えします。

著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。

知っておきたい、心と食べ物との関係

脳のホルモンが測定できず、モノアミン仮説(セロトニンやドーパミンやノルアドレナリンなどのモノアミンが精神疾患に関係するという仮説)が否定されている現在、唯一というくらい科学で証明されているのが、糖分(グルコース)と人間の精神状態との関係です。

もちろん糖分だけで人間の精神状態を説明することはできません。しかし皆さんの中にも、特に女性の方には多く、「甘いものを食べると落ち着く〜。安心する⊥という方がいるのではないでしょうか。これは結果として事実としても間違っていません。人間の精神状態を考えるときに、食事の内容に重要な要素があることに、異論がある人はあまりいないのではないかと思います。甘いジュースばかりを飲んでいては子どもだけではなく大人でもおかしくなるでしょうし、甘い物や炭水化物にばかり偏った食事をしていては精神状態にも影響を及ぼすでしょう。

食事や栄養素については、東洋医学的な医食同源の思想、栄養学的な思想、東洋医学に近い日本的な養生的思想など、いくつかの考え方が存在します。私はどの考え方にも一理あると思っていますし、どの考え方にも弱点があると思っています。その弱点をここで指摘するにはページが足りませんが、ぜひ理解いただきたいのは「おいしい食事はよい心を育む」という当たり前の発想です。逆にいえば甘い物ばかり食べていれば「心も体もアマクなる」のです。

司法にも介入する精神医学

精神医学は司法にも介入しています。それは最近もたびたび話題になる「精神鑑定」という手段によってです。被告の精神状態に問題があると、犯罪の事実認定の前に精神鑑定が行なわれます。これは精神医学にとっての権益でもあるのです。もともと精神鑑定が重んじられるようになったのは、アメリカにおいてデビッド・バゼロン裁判官が法廷への精神医学介入を推し進めたことに拠ります。1954年、長年の犯罪歴と精神科治療歴があった23歳の被告人を、精神障害であることを理由に無罪にしました。この判決によって裁判制度における精神医学の位置づけが確立され、世界中がこの先例にならうことになったのです。

日本では精神障害者であっても有罪が確定していたり、近年では発達障害であることを理由に、むしろ通常より重い判決が出ているものもあります。これは日本人の差別意識に精神医学が乗っかった形といえばいいでしょう。邪魔者、ちょっとでも変な人は即刻排除するという、日本人の悪しき面が出ているといえます。

また、精神医学による司法への介入は、司法現場の混乱を招いています。世間を騒がせた社会的事件(連続幼女誘拐殺人事件やオウム真理教事件など)の被告人に対して行なわれる精神鑑定は、鑑定人によってそのたびに違う鑑定結果が出されていることは、皆さんもご存知のとおりです。

司法と精神医学との問題でいえば、医療裁判を外すことはできません。医療裁判は通常、原告側(患者や家族)が医療的な問題がどこにあるのかを立証しなければいけないため、医師の目から見ても相当にハードルが高いのです。さらに精神医療裁判では、被告(=精神科医)に対しては、あらゆる権威的な精神科医たちが意見書を書くにもかかわらず、原告側には私のようななんの権威もない医者の意見書しかないことが多いのです。彼ら精神科医はこうした事実を知った上で好き放題やっているともいえるでしょう。

以上、抜粋終わり

食事の問題は以前から指摘している通りです。

詳しくはまた別の機会にお話ししたいと思いますが、

問題の一つは、

急激に血糖値をあげる食べ物が多く、

そのため低血糖症状を起こし、

体や心の不調を誘発します。

そのことを医者は知りませんし、

指摘している方もごくごく少数なため、

なかなかその事実が広まりません。

ゆえに上辺だけの問題がこくこくと指摘されているにもかかわらず、

一向に解決しないわけです。

この問題は食品産業界にとっては大問題になるため、

食品産業界や政界、官界もだんまりをしているわけです。

知らぬは国民ばかりで、

政府は本当に重要なことは、

何一つ国民には知らせていません。

だから自分の身は自分で守るために、

情報で武装しなければならないのです。

司法界も政府側なので、

国民に有利な判決は出しません。

もともと精神鑑定など精神科医にはできません。

何故なら科学的根拠などないのですから。

医者の権威で納得させているに過ぎません。

そんな鑑定に何の意味があるのでしょうか???

これは国民が権威に弱いということを利用されているのです。

自分自身を知識や情報で武装しておけば、

何が正しいかはわかるはずです。

まずは医療のマインドコントロールから抜け出さなければなりません。

それがあなた自身がうつ病から、

精神病から脱出する第1歩となります。

 

うつ病からの脱出ー「発達障害」なんて、せんぶウソ! 5-

今回は同テーマの第5弾です。

著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。

どーしょうもない校長の大きな誤解

教員側の都合しか考えない、どーしょうもない教員がどんどん増えています。子どもの問題行動について、すぐに発達障害を疑えと教育されている教員は、そのような見方しかできません。それらは精神医療における診断や投薬の本質が関係者に誤解されているため生じます。本当に重要な情報は、医療提供側(医師や製薬会社)にとって都合が悪いため当事者や関係者に正しく伝えられない傾向があります。

知識を持つことで被害を防ぐことは可能です。最初に必要なことは知ることです。問題行動をすべて個人の疾患として専門家に丸投げする姿勢は、教育の責任を放棄することでもあります。医療の限界や問題点を理解し、その上でどのように困難を抱える子どもたちをサポートできるかを見つけ出すことが重要です。次のような考えはすべて教育者たちの誤解であり、妄想にすぎないのです。

大きな誤解・その①-ADHDや広汎性発達障害、自閉症、うつ病などの精神科領域の障害や疾患は、ガンや白血病、肺炎などの他の疾患と同様、専門医が客観的に検査して正しく診断できる。

大きな誤解・その②-薬さえ飲ませておけば大丈夫。薬は国が認可したものなので安全。

大きな誤解・その③-精神科医や心理カウンセラーという専門家に任せておけば大丈夫。

では、子どもの問題行動に対してどのように対処すべきでしょうか?

医療は万能ではなく、教育に取って代わるものでもありません。そもそも性格、思想、思考、哲学、人間関係や教育に関しては完全な正解などないのです。安易に精神科受診を勧める前に、問題行動を起こす本当の原因について見つけ出す努力をしてください。子どもと接する時間が多い教育者だからこそ気づける事実がいくつもあるはずなのです。大人の都合だけを優先するエセ教育者か、子どもに信頼される真の教育者になれるかは、教育者次第なのです。

 

受ける?受けない?ワクチンの裏事情

海外において精神薬のビジネスは、そのあくどさが次々に暴露されていて製薬会社としては期待できない状態になっています。その結果、今後の製薬会社の主力商品としてもっとも重視されているのがワクチンなのです。

まず話題になっている子宮頸ガンワクチン。日本では販売されてまだ間もないので、はっきりいって有益な情報はないに等しいといえます。ただそうも言っていられません。国や製薬会社、医療界は本当のことは決して言いませんので、インターネットなどでワクチンの危険性を訴える情報を探してください。海外での動向と添付文書などを参考に、自分たちで子どもを守るより方法はない状況でしょう。ちなみに子宮頸ガンワクチン「サーバリックス」は「蛾の幼虫」の細胞由来です。死亡者が続発したインドの事件をきっかけに、世界中の家族やワクチンの有効性に疑問を抱く医師等の専門家が中心となり、真相究明グループを立ち上げています。子宮頸ガンワクチン「ガーダシル」の研究者は、CBSニュースで公然と次のような意見を表明しています。

「公衆衛生の利益は何もありません。子宮頸ガンには減少はありません」

彼女はまた重篤な副作用がガーダシル使用後にあると報告されていて、ワクチンで防ぐとされる子宮頸ガンより、そのリスクが高いことをはっきりと示すことができるとも言います。また、インフルワクチンの無効性は日本でも認められつつあるので、ここでは多くは取り上げませんが、他の方々の著書も参考にしていただきたいと思います。そしてワクチンの無効性だけではなくその裏にある意図は何であるかも含めて考えることが必要なのです。

アメリカにおいてはワクチンと自閉症状との関連が認められ、150万ドルの賠償金支払いが裁定されたものもあります。アルミニウムや水銀や動物製剤が入っているワクチンにおいて、このようなことは当然起こりうることです。ワクチンが他のウイルスに汚染されているという暴露は、アメリカで頻繁に認められていますが、日本では製薬会社から多数のお金をもらっている精神科医が否定しています。ちなみにポリオも破傷風も危険性は同じなのです。

ワクチンを投与する意味を、皆さんが把握しているか、そこが重要です。

ワクチンの目的は病気の予防ではありません。それは精神薬に類似します。その目的とは病気を作ることであり金銭的利益を得ることであり、それ以上に大きな目的とは人類の削減や支配です。支配者たちは貧乏人や自分たち以外は死んでくれたほうがいいのです。その意図を読み取らずして皆さんが医療地獄につかまらないで生きていけるということはあり得ないのです。

以上、抜粋終わり

ワクチンははっきり言って有害です。

まったく効果はないどころか、

返って免疫力を下げ、

病気になりやすくなります。

例えばインフルエンザワクチン、

打った人ほどかかりやすくなります。

あなたの周りの人を確認してください。

そしてそのことは専門家も指摘しています。

ワクチンの問題も医療業界が儲けるために仕組んだものです。

嘘だと思われる方は、

ネットでワクチンの中身を調べてください。

おおよそ治りそうな薬は入ってませんから。

夢を語る

友達の紹介で知ったのですが、

昨日大阪で「1年の計」が立つお茶会

というお茶会に参加してきました。

自分の夢をイメージしながら計画し、

瞑想しながら落とし込む、

そして参加者とシェアし合うという、

楽しい集まりでした。

人と夢を分かち合い、

共有するというのは、

今までしたことがなかったので、

楽しい貴重な経験と時間を過ごすことが出来ました。

夢を語り合う仲間の必要性を感じていたところで、

偶然得た仲間と

本当に貴重な時間と空間でした。

私の人生に欠けていたものを教えていただいたようで、

ご指導いただいた阿部さんや、

参加した方々に、

本当に感謝です。

ありがとうございました。

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うつ病からの脱出ー「発達障害」なんて、せんぶウソ! 4-

今回は第4弾です。

著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。

強制入院させられた登校拒否児たち

以前、学校に行きたがらない子どもたちは異常だと思われていました。彼らは「登校拒否」と呼ばれ、精神科治療の対象となっていました。1983年、「生徒の健全育成をめぐる諸問題〜登校拒否を中心に〜」という生徒指導資料が文部省によって作成され、登校拒否の生徒に対する具体的対応策として、「病院への収容治療」が示されました。それらの児童が入れられた病院では、食堂への通路に置かれたベッドや椅子に縛られ、しびん、オムツをあてられて5日間も拘束されていた子どももいました。子どもたちの多くが、本人の意思に反して入院させられ、なかには麻酔をかけられて両手両足を縛られ、病院に連れてこられたという例もありました。つっぱっているという理由で無理やり精神病院に収容され、怒って暴れると体に竃気ショックを10カ所もかけられたという事例もありました。

そして1988年9月、朝日新聞夕刊の一面に「50代まで尾引く登校拒否児 早期完治しないと無気力症に 複数の療法が必要」と題された記事が掲載され、登校拒否は早期に精神科医や心理学者など専門家に相談する必要性があると力説しました。この記事が一気に火をつけ、子どもたちが次々と精神病院に強制入院させられることになりました。

多くの子どもたちが犠牲になり、1992年、ようやく文部省は「登校拒否はどの子にも起こりうる」と認識を変えました。それ以降、不登校は病気ではないという認識が広がり、露骨な強制入院などは下火になりましたが、精神科医に連れて行かれる子どもがいなくなったわけではありません。

そして、精神医療産業は新たな切り口を見つけました。2002年、発達障害を重視する精神科医たちが「LD(学習障害)、ADHD、高機能自閉症により学習や生活について特別な支援を必要とする児童生徒も6%程度の割合で通常の学級に在籍している」と結論付ける報告書を作り、この6%という数字を前面に掲げ、国からの「支援」を求めました。児童精神科医たちは生涯にわたって支援と称した飼い殺しを実践していくよう画策しているのです。

 

家族会はやさしくささやきかける…

現在の日本において、精神科全否定論や向精神薬批判や発達障害を否定することは、なかなか受けいれられるものではないでしょう。しかし少しずつ暴露されつつありますが、決して自分たちの非を認めない存在があります。そんな親たちが集う場所、それが家族会です。

精神薬を中心とした薬害問題、精神医学暗部の問題は掘っても掘り切れないくらい深いのですが、その一つとしてのダミー団体問題というのがあります。ダミー団体とは何かというと、患者会や家族会の一部を製薬会社や精神医学界が「援助」を名目に買収したり取り込んだりして、見せかけ上、とてもいいことを言ってくれる団体にするということです。4強カルテットの話をしましたが、彼らはフロントグループなどと呼ばれることもあります。こういうダミー団体というのは非常に巧妙な手口を使います。

たとえば統合失調症の病名に不満がある場合、「それは誤診だよ、あなたは統合失調症ではなく発達障害だからあなたのせいじゃない。発達障害には発達障害の薬の飲み方があるんだよ」といったようにささやきかけるのです。もちろんとても優しい声で。これは精神医学のやり方そのものであり、親はその誘惑に勝つことはほとんどできないのが現実です。

子どもを廃人にした後、助ける方法がないかなどと泣きついてくる親をよく見かけますが、彼らにとって子どもなどモルモットであり、かわいいとうそぶいているだけでしかありません。だれにどれだけ批判されようとも、その事実は動かしようがないものです。彼らはかつて診断し投薬しレッテルを貼っていた私と共に、地獄に落ちる以外何も選択肢はない存在なのです。だって俄悔する気などどこにもないのですから……。

以上、抜粋終わり

昔に比べて病気だと感じてしまうようなことが多くなり、

そのためいろいろと病気の定義づけをして、

病気にしていますが、

根底に食事の問題が絡んでいます。

そのことについてはほどんど誰も指摘しません。

しかし食品添加物や精製された砂糖や塩、

他にもありますが、

食料があふれていて、

栄養の問題は解決されていると思わされていますが、

しかし戦前に比べて、

逆に食べ物の中身は悪くなっています。

だから病気が増えたのです。

もちろん食事だけでなく、

環境問題もからんでますが、

根本的な問題は指摘されず、

逆に隠蔽され、

何も知らされないまま、

我々は病気にさせられ、

食品産業や医療産業の餌食にされているのです。

まずはその事実を知らなければなりません。

よく調べてください。

情報を集めれば、

自然と真実が見えてきます。

そして自分や家族を守ってください。

 

うつ病からの脱出ー「発達障害」なんて、せんぶウソ! 3-

今回は同テーマの第3弾です。

著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。

発達障害の次の“狙い”は引きこもり?

精神医学は困っている人に近づき、こうささやきます。

「それはあなたのせいではありません。病気なのですから、仕方ありません」

「でも大丈夫。この薬を飲めば、きっと良くなりますから」

「薬を飲むことを怖がってはいけません。正しく使えば問題はないのですから」

そして、支援を得るためには「障害者」のラベルが有効であると、患者やその家族を説得するのです。障害者のラベルがつけば、公的な支援が得られるからです。このちょっとしたお金やシステムに、ほとんどの人がコロッとダマされてしまいます。

困難を抱える子どもたちがいるのは事実でしょう。そして、親も困っていることも時に事実でしょう。ただ、やはりこの間題を解決するのは、コミュニケーション、そしてコミュニティなどの人間関係や社会関係なのです。

にもかかわらず、そこに市場拡大を狙う精神医療産業がつけ込み、根拠のない診断名と薬を売り込むことに成功したわけです。今や、発達障害は一大産業となりました。ADHD治療薬は順調に売上げを伸ばし、さらには製薬会社をスポンサーにしてADHD専門の学会まで立ち上げました。

そして、彼らが次に狙うのは引きこもりです。これには、発達障害で成功したのと同じ手口を使います。引きこもりを抱える家族は本当に困っています。そこに精神科医はつけこみます。引きこもり=精神障害とし、障害者として取り扱い、公的な支援を得ようというメッセージを入れ込みます。引きこもりの子に対して親が通院し、投薬させ結局さらに引きこもりになるというケースは数えきれません。どうか結果を正直に見てください。その「治療」とやらで良くなった子どもは、この日本にどれくらいいるのですか?

 

私が「発達障害」を重視する理由

精神医学は詐欺ばかりです。発達障害についても三重の詐欺があります。

第一の詐欺-そもそも病気として取り扱う必要さえない状態を病気と仕立てあげる。

第二の詐欺-原因やメカニズムが科学的に証明されていないのに、否定された仮説をいかにも「事実」であるかのように宣伝する(例・発達障害は脳内の○○ホルモンが原因)。

第三の詐欺-理論上の説明では上記のような仮説を持ち出しながら、臨床現場ではその仮説とはまったく整合性のないチェックリストを使用して診断・投薬する。

この三つの詐欺は、どの精神疾患でも同じように当てはまります。

しかし私が特に発達障害を重視するのは、私自身が発達障害という間違った概念を広めてしまったという負い目もありますが、やはり子どもが主体であり、彼らに選択権がないということがあげられます。「大人の発達障害」なんて概念はもう愚かの極みであり、論ずるにさえ値しません。

現代人の思考法のもっとも大きな問題の一つに「反対学のなさ」があります。つまりある物事が存在したときに、それを肯定する論理と否定する論理が存在するのですが、日本人はそれ自体を考慮しないということです。相反する二つの論理を見比べて間違っているほうを選んでしまうのも問題ですが、それ以上に反対学という見方さえ知らないのであれば、いつどこででもどんな詐欺にでも引っかかってしまいます。

これは精神医学に限ったことではありません。逆にいえば、この見方を身につけていればいつでも本当の背景、本当の事実は何なのか、どこにあるのかを常に探究することができます。

 

「発達障害」の子どもを救うために

非常によくされる質問に、「友人もしくは友人の家族が精神科にかかり、精神薬を飲んでいるのだが助けたい。どうすればよいか?」というのがあります。答えは、基本としてはほっとけです。これまで前述したようにその人間が当事者で大人であれば、洗脳され飼い殺されている限り、何を話したところで無駄なんです。話せば話すほど、事実や客観性に基づいて説明すればするほど、相手は正当化と逃げと被害者意識に走りますから。これは決しておかしいことではなく一つの精神的メカニズムであることを知らねばなりません。

しかし当事者が子どもの場合はそれだけではすみません。まだ自分ですべて生きていくことができないからこその子どもなのです。ですから何かしたいと思う人がいれば、否定的な資料一式そろえるだけそろえて、親に手渡すことです。ここでも優しくしてはいけません。相手が自分で有利であるかのように錯覚するからです。実際あなたはここで資料を手渡したら、その先は結局親の気づきとモチベーションがすべてを決するのです。

まずは気づいている親、疑念を持っている親、その子どもから助ける、これが基本です。そういう人だけでも日本には何十万人もいるのですから。その人がもし精神医学や精神薬から抜け出せば、あなたが説得するよりも説得力がある人になるでしょうし、助けになるでしょう。これほどの分野でも同じ話であり、現状の日本において全員を助けるなどというのは夢物語でしかない状況なのです。ひどい親であれば自分の立場を守るためには精神科医なみに手段を選びません。

何よりも精神科医に子どもを連れていく親は、虐待に等しい支配親、コントロール親、毒親なのだという風潮を多くの人が認識し、子どもの問題に関しても自分たちやコミュニティで解決していこうという気持ちを起こさせることが大切なのです。

以上、抜粋終わり

私の子供の頃は、

まだ今みたいに、

日本の精神医学が発達していなかったので、

精神病にされなくてよかったと思います。

今なら注意欠陥多動性障害となってしまうでしょう。

私の小学校低学年の頃は、

良く先生の話を聞いていなくて、

担任の先生や祖母から怒られたものです。

しかし子供は本来自分の興味のないことには、

注意や意識を向けません。

当たり前のことです。

少しボーっとしていていようが、

それが大人になるまで続くような人は見たことがありません。

年齢とともに社会になじむようになっていくのです。

ひょっとしたら、

子供から見れば、

今の社会に魅力がなさすぎるのかもしれません。

だからゲームのようなバーチャルの世界が流行るのかもしれません。

今の社会は子供に誇れるような社会でしょうか?

私たち自身がもう一度見直す必要があるかもしれませんね。

 

 

うつ病からの脱出ー「発達障害」なんて、せんぶウソ! 2-

今回は同テーマの第2弾です。

著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。

子を精神科に通わせる親の責任

自分が教育してきたことを棚に上げて、権威や通説に身をゆだねる親が、いったいどれほどの数いるのでしょうか。その権威や通説が間違っていたらどうするのでしょう。

子どもが精神科を受診している場合、親がおかしいと思って連れていくケースがほとんどです。保健士に言われたのであってもカウンセラーに言われたのであっても、同じです。

百歩譲って最初はそれで精神科にかかってみたとしても、そこで子どもの異変に気づかなかったり、長年にわたり投薬を受け入れてきた親はいったい何を考えているのでしょうか。

そして、そのことを指摘したときに親たちが行なう正当化は、目に余るものがあります。

「なぜ私たちが責められねばならないの?」「むかつく」「私たちは悪くない」「私たちは正しかった」……と主張するわけです。子どもたちが今薬漬けになっているというのに、こうした発言をする段階で親の質が見えてこようというものです。逆に言えばその親の罪を自覚できる家族はスムーズに薬を減らすことができるのです。

もちろん親だけにすべての責任があるわけではありません。特に思春期を過ぎた子どもの場合、本人の行動や思想的な愚かさについても指摘されるべきです。

そこで必要なのは子どもと本気でぶつかりあおうという姿勢です。親がどうあるべきかについてはいろんな考え方があるでしょうが、真に親たる存在というのは、子どもや家庭を守ろうと努力するものだと思います。しかしその「守る」という言葉をはき違えている人が今の世の中にはどれだけ多いことか、数え切れないほどです。甘やかすことが守ることだと考えている親、厳しくしつけることだけが守ることだと考えている親、金銭的にサポートすることが守ることだと考えている親、人間関係の問題を精神科に持ち込むことが守ることだと考えている親、精神科医の言葉を疑わないことが守ることだと考えている親、薬を飲ませてコントロールすることが守ることだと考えている親、そんな話ばかりです。これは単に精神医学や心理学が極悪というだけでなく、日本人の劣化、親たちの劣化という問題を考慮せねばならないのです。

 

「発達障害は親の責任ではない」というウソ

精神科に子どもを連れてくる親というのは、自分自身が適応能力や対処能力がゼロであることを理解できていません。だから答えをすべて精神科医に求めるし、薬によって無理やり押さえつけることを好みます。教育や指導法も一貫して甘やかすか厳しいかに偏っているし、そもそも子どもに対して必要な教育がされていないケースが多いのです。また指導自体が、すべて社会に従わせることや親に従属させることを前提として行なわれていたりします。子どもはそういうことに敏感ですから、いずれの場合にしろ親を嫌がります。そしてそのことにさえ気づいていない親だらけなのです。

親子の問題はどこまでいっても親子の問題であり、社会的な問題はどこまでいっても社会的問題なのです。それを医学や精神薬が肩代わりするなどできるはずはありません。たとえそれが暴力などの刑事的問題であったとしても、それは医学ではなく警察なり司法なりが介入すべき問題なのです。

「子どもは模倣して育つ」と唱える有識者は多いですが、より正確にいうなら「模倣するか、もしくは正反対の行動を取ろうとする」ということなのだと思います。

「発達障害は親の責任ではない」という殺し文句も大ウソです。幼少期の子どもとは書き換えのきかない白いキャンバスのようなものであるということです。そしてそこにどんな絵が描かれているかは、まさに親や親戚や兄弟や友人によって規定されます。身近にいて幼少期に刷り込みや無意識の学習を繰り返すのは、その人たちですから。

生きるということはまさに生涯学習であり、子どもにとっても親にとっても、お互いに教わるものがもっとも多い関係だということを学びましょう。それがどちらの方向であれ、自分たちが不完全であり、高めていくために一生を費やしていくのだということを学びましょう。

そうした修練のときに、発達障害などという概念は不要です。この概念は思考を途絶させ成長をストップさせてしまうからです。

以上、抜粋終わり

親のなんとかしたいという気持ちはわかるのですが、

その何とかしたい努力が、

違う方向に向いているのです。

正しい情報にアクセルする必要があるのですが、

これが出来るかどうかは、

残念ながら、

その人の人間力です。

人間力に欠けるからこそ、

医者に頼ることになってしまうので、

常日ごろから人間力を高める努力が必要です。

つまり向上心を持って、

自分を高める努力を、

日々なんでも良いので、

自分の思うものに一生懸命打ち込むことです。

その日々の努力が、

あたなの未来を切り開いていくのです。

うつ病からの脱出ー「発達障害」なんて、せんぶウソ! 1-

今回から上記タイトルでと伝えします。

著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。

発達障害なんて呼ばないで

発達障害なんてこの世に存在しません。

ちょっと言葉が出るのが遅い。ちょっとお話が好き。

ちょっとおこりんぼ。ちょっと知りたがり屋。

いろんなことが他の子と違うだけなのをいっしょくたに「発達障害」にしないでほしいのです。そもそも「発達障害」なんて病名は、精神科医が思いつきで作ったものです。知能を蓄積している最中の子どもの頭におクスリ放り込んで台無しにするために。

子どもたちの人生はお父さん、お母さんのそれよりもずーっと長いのです。もちろん、子どもたちへの支援は大切です。本当の意味での支援が必要な子もいます。しかし脳の障害であることを何も証明することのできない、科学的根拠のない、いい加減な、だれにでもあてはまるADHDや発達障害のチェックリストによって、大人たちに「診断」され「病名」をつけられた子どもたちは、どれほど傷ついているのでしょう。そして、お決まりのパターンですが、薬によって本物の「精神障害者」ができあがるのです。

ただ行政や教育機関の言うがままに、精神科医の言うがままに、自分で調べようとも考えようともせず、まして子どもの本当の声に耳を傾けることもなく、「そうなってしまった」のであったなら、そんなお父さん、お母さんの人生はかなりの苦難に満ち溢れていることでしょう。子どものことだけにかかわらず。

原因があるから結果があり、過去が今を作り、今の連続が未来を作る。それを「見ない」ようにふたをして、ただ今ある結果を「病気」にするのは間違いです。子どもは親の鏡です。そして、人は自分にふさわしいものを引き寄せるのです。目の前で子どもに起こっていることを、自分が出している人生の結果の一つとして親は「見る」必要があるのではないでしょうか。自戒をこめてつつしんで申しあげます。

 

大人の都合で決められる発達障害

アメリカでは幼稚園のクラスの中でも最年少でそのぶん未発達であるがために注意欠陥・多動性障害(ADHD)と誤って診断される子どもが約100万人にのぼっている可能性があると、2010年米ミシガン州立大が発表しています。ADHDは脳の機能障害などと言われながら、診断は脳検査の結果を基に行なわれるわけではありません。表面的に現れる行動から医師が「主観的に」判定するだけなのです。もっと簡単にいえば大人の都合で診断されているのです。

要するにアメリカでADHDと診断された100万を超える子どもたちは、詐欺の被害に遭ったのです。精神科医と大人に彼らはダマされているのです。「これは遠いアメリカでの出来事だ」では済まない話で、まったく同じ構図が日本にも当てはまります。日本の子どもたちも米国の子ども同様の危険性にさらされており、事実薬漬けになっている子どももたくさんいます。

ここに精神医学の非科学性があります。実際にはうつ病やADHDなど、精神医学が扱う精神疾患や障害については、すでに何百という病名が「発明」(発見ではありません)されているにもかかわらず、何一つとして原因も発症メカニズムも特定されていません。発達障害もADHDもそれを診断できるという検査もアンケートも、すべて捏造の作りごとなのです。

 

「発達障害」と決めつける前に親ができること

もちろん子どもの性格にもよりますが、子どもがイライラしたりキレたりするその直前には、必ずコミュニケーションや理解に関する何らかの行き違いや抑圧、阻害があるはずです。

「うちの子は空気が読めない」というような理解も大人側からの視点であり、何かしら理由があることがほとんどなのです。周囲に理解されていないと感じることからかもしれません。あるいは授業の内容や先生の指示が理解できていないのかもしれません。その背景には基本的な言葉に対する誤った理解があるかもしれません。単に性格で人とあまり接したくないのかもしれません。

また、大人でも睡眠不足だと刺激されやすくなるのと同様、子どもたちにも睡眠不足や栄養不足など基本的な生活上の問題があるかもしれません。知られていない身体上の問題があるかもしれません。重要なのは、子どもを理解しようとする姿勢です。

診察室という限られた空間と時間でしか子どもを見ていない精神科医よりも、親や現場の教師のほうがその子のことをよく知っているはずです。

それにもかかわらず最近の親は、自分の子どもを守る、子どもを見守るということでなく、権威者である医師に従うことしか考えていないのです。それは大人の都合で大人が助かるためだけにそうしているといわれても、仕方がないことなのです。

診断名などというウソに惑わされることなく、その子本人を見るようにしてください。

以上、抜粋終わり

最近私が思うのは、

子供にきちんと躾ができない親が多くなっていることです。

つまり親がきちんと子供を教育できないということで、

教育は学校がするものだと思っていることです。

親の幼児化が進んでいることが、

この精神医療にも関係しているように感じています。

つまりすぐに自分の手に負えなくなるので、

医者や教師に頼ろうとするのです。

そういう観点からこの問題を見た場合、

親の再教育が必要だと考えられないでしょうか?

戦後の教育では、

哲学や倫理など教わっていません。

そのため道徳やモラルの低下などが起こり、

自分自身ですらどうすればいいのかわからず、

他人任せにしている風潮があります。

つまり自分というものを持っている人が少ないのです。

私は根本的に教育の見直しから始めないと、

あらゆる社会問題は解決が難しいように感じています。

あなたはどう思われますか?

あなたの考えが社会に反映されます。

どうすれば良くなるのか、

真剣に考えてください。

一人一人の考えが社会を変え、

良くしていくのですから。

 

うつ病からの脱出ーそして精神医学は社会に忍び込む 5-

今回は同テーマの第5弾です。

著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。

生活保護と精神科は相性バッグン!

生活保護は200万人をゆうに超え、まさに社会問題として国家財政を圧迫するまでになっています。この生活保護問題は精神医学だけの問題ではなく、老人の問題、雇用の問題、母子(父子)家庭の問題、身体障害などの問題ともつながってくるものではあります。

しかし、2010年の概算では生活保護受給者のうち25%近くが精神科に通院中だともいわれていますから、生活保護と精神科とは切っても切れない関係といえます。

生活保護を受給するようになると医療費がタダになるため、精神科医としてもそこにつけこむ余地が生まれます。頻繁に受診したり、薬が過剰に投与される傾向が出てきます。生活保護費の医療扶助の6割は入院に関する費用で、精神疾患による長期入院が入院全体の約4割を占めています。精神科医によって作られた生活保護患者も多数存在します。

もちろんこの世の中にはすすんで精神科の患者となり、すすんで生活保護を受けることを是とする人々もいます。投げやりであったり家庭環境が悪かったり精神科に痛めつけられて、もはや労働が難しいという人は存在することでしょう。

しかし多くの人は働ける能力を持つ人であり、精神薬を飲まなければ一時的には不調となっても、再び働くことができた人々なのです。障害年金であっても生活保護であっても、精神医学の基本的な計画を知っていれば、なぜこうなるのか理解できます。精神医学にとっては患者は悪くして働かせないようにしなければいけないものです。そうして金銭的に障害年金や生活保護で束縛してしまえば、二度と精神科から卒業しようなどという気は起こさせず、半永久的な飼い殺しに成功するのです。

 

子ともたちを本当に大切に思うなら…

皆さんは子どもを殺そうとしています。これは精神科医にかけている親という意味ではありません。教育界全体、児童福祉全体、社会全体が子どもを殺そうとしているという意味です。社会に住んでいるわれわれ大人は、すべて積極的であれ消極的であれ子ども殺しに協力していることになります。

親は子どもが嫌がっている理由も聞かず学校に行かせようとします。いじめに親が気づかないこと自体、どこまで家庭にコミュニケーションがないかという一つの指標です。いじめは学校だけの問題ではありません。これを最近の風潮では学校にだけ責任を押し付けようとしていますが、本質はもっと別のところにあります。子どもには相談する場所などないということを示しているのです。

といっても教育界に問題がないわけでもありません。教育内容にはもはや触れませんが、教室を管理するため、困った子ども、邪魔な子どもは排除され、犠牲的な子どもが作られていきます。子どもの立場が優先されず、大人の都合によって教室も回されていきます。他にもさまざまな社会システムが親と子どもの距離をむしろ引き離していくように働きかけます(このことについては、私自身が具体的な問題として明らかにするつもりです)。精神科医は子どもの脳がどうなろうが精神薬を授与します。この世の中でいったいどこに信用できる大人がいるというのでしょう? いったいどこにこの世のすべての常識を排しても、本気で怒ったり一緒に笑ったりしてくれる大人がいるのでしょう?いまメディアで流れているいじめや教育界への提言など、すべてこセモノであることを子どもたちは知っています。

皆さんが本気で子どもが大事だというのなら行動してください。現在の児童福祉の酷さを学び、それを啓蒙してください。そして一刻も早く子どもが死ななくてもいい世界を作り上げてください。それができないのならわれわれ大人は、子どもが大事だなどと偽善めいたウソをつくのをやめましょう。

以上、抜粋終わり

すべての悲劇は無知によるものです。

親がしっかり勉強し、

情報をつかんでいれば、

子供が苦しむようなことはしないでしょう。

しかし残念ながら、

ほとんどの人は勉強しません。

すべて依存的になっているからです。

プロに任せていれば大丈夫。

確かに間違いではないですが、

しかしすべてには自己責任があるのです。

海外では一般の人も、

ある程度医学のことを勉強しています。

そして自分できちんと選択をしています。

日本人みたいに依存的ではありません。

特に貧しい地域は、

高額な西洋医学の治療は、

簡単に受けられないため、

みんなその地域に昔からある、

伝統医療に詳しいです。

そして何より、

普段から予防に意識を向けています。

日本とは生活習慣から意識が違います。

日本人ももっと予防に意識を向ければ、

生活習慣病が減ることでしょう。

普段食べるものをもっと意識してください。

うつ病からの脱出ーそして精神医学は社会に忍び込む 4-

今回は同テーマの第4弾です。

著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。

次から次へ、ダマしのテクニック

ジャンキー(薬物依存者)は必ず畜産されて、家畜や奴隷であることを望みます。そうなるように精神医学に設定されているからです。この場合、ほとんどの患者に対してそのことを指摘しても無駄です。精神薬を飲んでいると覚醒剤や麻薬を飲んでいるのと同じで、事実や論拠に基づいた思考は思い浮かばなくなるからです。そして最後は自力で解決しようという考えは消え失せ、薬であれ何であれ依存していくだけになります。最後は自分で気づき自分で抜け出そうとしない限り、必ず悪い結末になるのです。繰り返しますが、他力本願である限り幸せなど訪れるはずはないのです。

実際、精神科医は次から次へとダマしのテクニックを持ち出してきます。依存心があればそこから逃れることはできません。たとえば名称を変えてカモフラージュする、たとえば多剤療法はダメだけど2〜3種類の処方は問題ではない、というのは「詐欺」の典型的な手段です。

日本の精神科病院は、精神障害及び精神障害者への偏見や差別から、診察に訪れにくいイメージが強かったため、近年では医療機関名の呼称を「心療クリニック」「メンタルクリニック」などにしたり、診療科目として「神経科」「心療内科」「メンタルヘルス科」と標榜したりして、外来患者が訪れやすくする工夫がされるようになっています。一部の私立大学医学部附属病院とその関連病院では、病院内の診療科目名に「メンタルクリニック」を用いている例もあります。しかし、その正体は何の変わりもないものです。ヘロインとコカインと覚醒剤とアルコールとMDMAとLSDと大麻と脱法ハーブとをチャンボンで飲むのはダメだけど、ヘロインとコカインを2種類で飲むのはいいとおっしゃるのでしょうか?

これらは実情・内情を知っている人にとっては初歩的な詐欺そのものであり、カモフラージュとしてなんの役にも立たないでしょうが、残念ながら十分に知識がない人は、「よりよい精神医療」へ向かっていると錯覚していくのです。

 

大麻・脱法ドラッグの破壊性

ここではもう一つ、違法ドラッグの中では軽いとされる大麻と、最近話題になっている脱法ドラッグ(脱法ハーブ)について、検討してみましょう。

マリファナ(大麻)の使用による精神的な影響は深刻であり、記憶力や判断力が低下することがわかっています。アメリカではマリファナは、致命的な自動車事故を起こした運転手の体内から、アルコールに次いで頻繁に見つかる薬物です。オーストラリアのある研究では、時点中の死亡事故の4・3%がマリファナが原因で生じたことが明らかになっています。マリファナの煙には、発ガン物質である多環芳香族炭化水素が普通のタバコの2倍、発ガンのリスクは6倍も含まれていることがわかりました。そして人体実験の結果、紙巻きタバコと比べたマリファナ使用後の血中の一酸化炭素の濃度は、煙の吸入量が同じでも、5倍であることも判明しました(ニュージーランドのウェリントンにある医学研究所のRichard Beasley博士らの発表)。マリファナを与えられた動物は脳の構造にまで深刻なダメージを受けることもわかっています。

近年、注目される脱法ハーブとは、合成カンナビノイドを含有するハーブ製品であり、カンナビノイドというのは大麻などに含まれている危険成分のことです。宣伝としてはナチュラルであるとかハーブだから自然に近いなどのウソを盛り込み、薬物依存に誘導していくケースが少なくありません。厚生労働省は規制に乗り出してはいますが、化学物質を規定することに限界があり、はっきりいってイタチごっこです。ここでもこのような薬物をだれが広げようとしているのか、それを見極める目を持つと同時に、精神に作用するそのような薬物は、どのように甘い言葉でコーティングされていてもそれ自体がウソなのだということを知ってください。

現在の脱法ハーブには違法であり強力であるヘロインなどよりも、さらに強力な依存性や脳の破壊性を持つものまであるのです。重要なことは薬物によって精神的諸問題を解決しよう、薬物によって社会を変えよう、薬物によって自己を変えようなどという考えが、いかに愚かしいものであるかを認識することです。

以上、抜粋終わり

上記のものは、

誰もが体に悪いものとの認識がありますが、

我々が普段普通に口にするもので、

依存性があるものがあります。

精製された砂糖や塩です。

またカフェインなどもそうです。

だからまたほしくなるのです。

私はこちらのほうが、

よほど恐ろしいと思っています。

みな知らないうちに当たり前のように摂取しているため、

これが徐々に体に害を与え、

じわじわと病気へとさせられているのですが、

この実態もほとんどの方は知りません。

この実態も政・官・財の癒着で、

情報を完全に密閉しているためです。

我々は知らされていないことがたくさんあります。

でもそれが最近はインターネットの普及や書籍などで、

情報を入手できる機会が増えてきました。

だから情報に敏感になってください。

あなた自身や家族を守るために。

 

うつ病からの脱出ーそして精神医学は社会に忍び込む 3-

今回は同テーマの第3弾です。

著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。

精神科医はなぜ責任を問われないのか?

今まで、どんなに死人や後遺症を作っても、精神科医が責任を問われることはほとんどありませんでした。これは精神医学が医学とは呼べず主観ばかりで根拠を一切要しないことが前提ですが、他にも以下の理由が考えられます。

一つ目の理由は、あまりにも精神科医の治療成績が悪いため、精神病は治らなくても当たり前という同意ができていることにあります。つまり、治せなくても責任を取る必要はないということです。

患者が悪化したとしても治療が失敗したのではなく、病気が悪化した結果だとごまかすことができます。確かに人間の精神というのはそう簡単によくなるものではないかもしれません。しかし何の結果も出ない、むしろ悪くなる手法であるならば、存在価値そのものが疑われてしかるべきです。

二つ目の理由は、そもそも正しい診断自体が存在しないことです。精神疾患の診断に正しいも誤診もないことはすでに説明したとおりです。医学とは最低限、科学的であり、症状を100%証明できなければお話にもなりません。症状を100%証明できないのにどうやって治療しょうとするのでしょう? はっきりと状態を示すことさえできない症状を治療しょうとすること、治療できるとうそぶくことは、たとえばあなたはガンかガンでないか、どこに心筋梗塞があるのかないのかもよくわからないままに、すぐに手術しましょうと言っているようなものです。あなたはその手術を受けますか?

三つ目の理由は、精神病に対する偏見です。精神科医に対して訴えを起こすことは、自分あるいは家族の通院歴をさらすことになり、それを躊躇して泣き寝入りする人が多いのです。また、精神科医はこの偏見をうまく利用します。たとえば訴えを起こそうとする患者に「被害妄想」とレッテルを貼ることで、その患者の社会的信用を貶めるのです。

その他にもたくさんありますが、最大の理由は、やはり単純に情報がなかったということが挙げられるでしょう。今まで、患者や家族は医師の言葉を信じるしかありませんでした。明らかに悪化させられても、なぜそのようになったのかを理解することができませんでした。被害に遭っても泣き寝入りするしかありませんでした。実際のところは、それが被害であることにすら気づかないケースがほとんどでしょう。

しかし、精神科医がやりたい放題できた時代はもう終わりました。今やネットにはずさんな精神科の診療の実態や被害について証言する患者の生の声が溢れ、精神医療詐欺がもはや隠蔽できないレベルに達しています。

精神科医の責任が問われなかったのは、単にだれも声を上げなかったからにすぎず、今後このことに気づいた人たちから次々と告発の声があがるはずです。そして精神科医がこれまで行なってきたことへの追及が始まるでしょう。

 

私が考える精神医療トリアージ

トリアージとは、人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の効果を得るために、重症度と緊急性によって治療の優先度を決定することです。トリアージで誤解されやすいのは、優先度決定であって、重症度と緊急度決定ではないということです。たとえ症状が重くても、もう助からないとわかっている場合は、助けられる可能性の高い患者を優先します。

ここで精神医学に関してトリアージを作成すると以下のようになるでしょう。

・黒(Back Tag)カテゴリー0

さまざまな資料と事実を突き付けても、精神医学と精神薬を擁護し、薬漬けでいることを望む人々。被害者意識だけが肥大化し、問題の解決を図ろうとしない人々など。

・赤(Red Tag)カテゴリーI(最優先治療詳)

薬漬けの期間が長く、薬物性精神病のために認知力や記憶力が著しく落ちてしまった人々。長期的な入院などを強いられている人など。

・黄(Yellow Tag)カテゴリーⅡ(待機的治療群)

赤ほどではなく、まだ比較的会話や意思疎通などが成立する人々。精神科や精神薬について疑問を持っているものの、権威や医療への信仰が崩し切れていない人々。

・緑(Green Tag)カテゴリーⅢ(保留群)

精神科へ通院してしまったが、比較的早いうちに疑問を持ち、この本や他の情報を調べて考えようとしている人々。

日本に400万人近い精神科通院の方々がいますが、そのほとんどすべてが医原病であり被害者である、というのがこの本の趣旨でした。それは間違いないことですが、このような本が出版されること自体、このように被害が広がっているということ自体、いかにあらゆる人が実情を知らず、協力者が少ないかということを物語っています。精神科医で協力を申し出ている人など、当然2012年現在でも一人も存在しません。まあ、精神医学を撲滅すべきと提唱している人間に、協力する精神科医などいるはずがありませんが……。

医師の中で比較的協力的でいてくれるのは、たとえば救急医、たとえば神経内科医、たとえば一般内科医、たとえば代替療法を使用している医師たちなどです。またこの精神医学の諸問題に関しては、医師よりも医師以外の方が、圧倒的に多い人数で協力を申し出てくれています。それぞれの力は小さくでも組み合わせれば大きな力になるかもしれません。しかしそれでも現在の被害状況をみると力としてはまったく足りないと言わざるを得ません。

一つの問題としてあげられるのが、被害当事者、被害当事者家族が自発的に行動することが、非常に少ないことが挙げられます。逆にいえばそのように仕向けているのが精神医学であるということもできます。しかしいつまでもこの状態では解決の道筋は見えませんので、当事者の活動が今後重要になってくるでしょう。

このとおり、問題に取り組んでいる人は数少なく、黒(カテゴリー0)のような人を助けている余裕がないのが、現状です。これはいくら非情といわれても仕方ありません。私たちとしてはできるだけ赤や黄の人を助ける必要があります。緑の人はちょっとした教育や知識、まさにこの本のような啓蒙で、この問題から抜け出すことができるのです。

以上、抜粋終わり

残念ながら、

ほとんどの方は、

病院へいくことが、

病気を治すことと、

思っているので、

自分が薬を飲んで、

悪くなっているとは、

考えもしていません。

だから被害にあっていたとしても、

気付かないのです。

そのためには、

情報を収集して、

知識武装するしかありません。

でもうつ病の人には、

そんな気力はないでしょう。

だから家族や、

回りの人が、

情報を知り、

気付いたらなら、

手助けしてあげてください。

それが状況を改善することになるでしょう。