今日は第二弾です。
著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。
アメリカ精神医学界・大御所の反省
さらにこの原稿を書いている途中で以下のような話が舞い込んできた。
世界中で大規模な健康被害を広げてきた現代型精神医療に対し、アメリカ心理学会がその暴走を止めるべく、国際規模の抗議活動に乗り出しているというものだ。
精神疾患に科学的な裏付けはなく、政治的でありマーケティングに基づくものであり、広げられた病気に対応する新薬が次々と開発され、その承認とタイミングを合わせ積極的に疾病啓発をするという病気喧伝(disease-mongering)という手法が、一般的になったことに対しての抗議である。
「DSM」の改訂において、さらに病気の定義や種類を拡大しようとしているアメリカ精神医学会に対して、アメリカ心理学会第三二部会会長が2011年10月22日、公開質問状を公表し、「生物学的精神医学(脳内化学物質のアンバランス=薬物中心治療)には科学的根拠はなく、短期的には有効性が認められるものの、長期的には害を及ぼすものであることが近年ますます明らかになってきた」として精神医療そのものに抜本的な改革を求めているのだ。
実は、この抗議活動の先頭に名を連ねているのが、診断書を作ってきた第三版編纂者のロバード・スピッツァー博士、及び第四版編纂者、前述のアレン・フランセス博士である。つまり、かつての責任者が完全に反省・批判の立場に転じているということになる。アメリカの診断書を作る大御所までが、精神疾患や精神医学を否定するようになってきているということなのだ。
この提言は現代の精神医学が起こした被害状況を考えれば、遅きに失したといえるかも しれないが、それでも心理学という大規模学会が公式な見解として精神医学を否定することには、大きな意味があると私は考える。それが世界の現状であって、日本はこの分野においても何十年も遅れているのが現実である。
これらの反対や良心的意見を無視して、日本の精神医学界は単なる薬物ということにとどまらず、日本流行りの多量薬物療法を普及させてきたわけである。
具体的な話については後述するが、まずは精神医学という存在がまともたりえない、という前提からスタートしない限り、どのような真実にも気づくことはできないのが現在の状況であり、この本を書く動機でもあるだろう。
効果のない拷問治療・電気けいれん療法
現代的治療の弊害についてはあとで触れるが200年以上前から行なわれていた精神医学の治療は、現代人には理解しがたい拷問的な治療が多かった。
現在まで続いている拷問的な治療の代表が、電気けいれん療法である。電気けいれん療法は第二次世界大戦前にイタリアで発明され、精神分裂病(現在でいう統合失調症)に用いられるとされていた。
特に前頭葉へ通電することで治療しようとするものだが、効果に対する科学的裏付けは現代においても明らかになっていない。興奮性が消失したり、記憶が一部なくなるなどの効果があるとされている。しかしそのあまりに非人間的な治療は非難の対象となっており、いまだ論争がやむことはない。そもそもの統合失調症のいい加減さについても第3章の「統合失調症」の項を参考にしていただきたい。
実際のところ私が会ってきた患者さんたちの中には、電気けいれん療法を経験してきた方が何人もいる。しかし一人たりとも電気けいれん療法によって改善したことを語る人はいなかった。
何をもって改善したととらえるかも不鮮明なこの治療が、医学と呼べるとは私には思えない。
精神医学とは医師の主観により決定されてしまう医学だからである。この電気けいれん療法に関しても治ったという判断は、医師や家族に不都合な行動をとらなくなったということであって、本人の治癒感覚は関係ないのである。これは大いに異常なことである。
本人の感覚が重んじられないことを、精神医学では「本人に病識がない」などとして片付けるが、本来患者と呼ばれる人間がどう感じ、どうとらえているかが重視されねばならないのは言うまでもない。
たとえば極端な話として(精神科では極端ではないが)、親がわが子に対する虐待を続けていて、成人したわが子が親に暴力をふるい返したと仮定しよう。ほかの人間に対しての暴力は一切ない。この場合、本人からみれば、生存を保つために、そして仕返しのためにその暴力行為を行なっており、(それは善い行ないではないかもしれないが)精神病にはあたらないのである。
しかし精神科ではこの患者を精神病として扱うことになる。決して虐待してきた親は精神病とは扱われないのだ。
その結果、多量の投薬がなされ、場合によって電気けいれん療法が行なわれることになるが、これは虐待を重ねていた親が自らの罪を隠し、自分にとって不都合な行動を起こす患者を、さらに侵害するための手段となりうる。このことは決してまれな例ではない。
実際これらの治療は政治犯などの矯正に用いられ、死者が多数出ながらも続けられたことが報告されている。
だからこそ精神的な治療と呼ばれるものは、その程度がいかなるものであれ、本人の感覚を抜きにして決定することは許されない。これは基本的人権の確立でもあり、最低限の医学倫理の実現でもある。
しかし、その建前は無視され、今でも電気けいれん療法は日本中の精神病院において続けられているのが現実である。
また、すでに廃れてしまったが、近年まで行なわれていた拷問的治療に脳手術がある。
脳手術は同じく大戦前を起源とし、前頭葉切除術が多く用いられロボトミーなどと呼ばれた。ロボトミーの語源はロボットのようにするという意味ではなく、ロベクトミー(葉切除)からきているとされる。前頭葉は学習、言語、社会性、また人間性全体などを司る部分であり、手術により前頭葉を取り除くことで、おとなしくさせようという治療法だ。
しかしこの治療もまた、本人のために行なわれているというより、邪魔者を消し去りたいがために脳を摘出しているというほうが正解であった。
以上、抜粋終わり
アメリカや欧州では精神医療を見直し、
代替医療に力を入れています。
しかし日本は依然として、
権威と利権がある者に牛耳られ、
見直されることがありません。
だからこそ、
我々市民側がしっかりとした情報を掴み、
学ばなければなりません。
今はインターネットという情報化社会になり、
便利になりました。
どんなに情報を隠蔽しようとしても、
必ず漏洩します。
せっかくインターネットという素晴らしいアイテムがあるのですから、
それを賢く使いましょう。
そして何が正しいかを常に自分で掴んでおく必要があります。
それが現代の賢く健康に生きる秘訣です。