うつ病からの脱出ー精神科から卒業するための方法 3-

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今回はこのテーマの第3弾です。

著書『心の病に薬はいらない!』から下記抜粋します。

被害者意識を捨てる

精神科にかかる患者はすべて被害者です。それは間違いないでしょう。

しかし自分の意志でかかったなら、それは詐欺に引っかかっただけでしかないのです。ある人が金銭詐欺に引っかかったとき、テレビを見たあなたはどう思っていますか?

「だって自分も下心があったから引っかかるんでしょ」と多くの人が思うでしょう。実はそれと同じなのです。

ではその詐欺を振り返り被害者意識から決別し、有意義な人生を歩むにはどうすればよいのでしょうか。その詐欺にかかった己の甘さを恥じて反省し、完全に精神科と向精神薬と決別しうる者だけが、被害者という枠から逃れることができます。真の意味で精神科から卒業することができるのです。

逆に言うとそれができない人は結局少量の薬は必要だろうとか、私は悪くないといったような理屈を並べ、「彼ら」に闘いを挑もうとはせず、結局また飼い殺しにされることを望みます。

世の中に戦いを挑もうとはせず、かわりに元の病院に戻ったり人に依存したりカフェインや鎮痛剤などに依存したり、自分や他人を精神科に逆戻りさせたり、減薬、断薬の邪魔をしたり、自分を認めてほしいがために意味不明な行動をとるようになります。

まずは被害者意識を捨てることです。その意識を捨てることから、精神的問題の正常化は始まります。しかし受け身やひがみ、妬みやそねみにだけ陥ってしまうのが、被害者意識の怖いところです。

先述したとおり、この世は詐欺師しかいない世界なのですから、喰うか喰われるかしかないのです。

しかしその弱肉強食の世界は、本当の意味で自然な世界でしょうか?

私はそうは思いません。肉食獣は自分が必要とする食べ物しか狩猟しませんが、今の詐欺師たちは欲望の赴くまま徹底的に搾取してきます。誰かが誰かを騙さないと生きられない世界は確かに理不尽かもしれませんが、動物の世界はすべて騙し合いでもあり、そのうえで不必要な狩猟はしない世界なのです。

権利意識だけが肥大し「自分が守られて当然」と考えていること自体、すでに社会奴隷洗脳が終了しているも同じです。人はまず自分で生きていく力を身につけねばなりません。それなくして社会がさまざまなシステムを構築しても、ほとんどが奴隷栽培に終わるでしょう。奴隷根性は名前を変えれば被害者意識なのです。

 

自ら学ぶことの重要性を理解する

人が人であり知能や知識、思想がある以上、その人がよくなるときに何が最も大切かと言えば、知識を身につけ、その理由、背景、必然を理解するということしかありえません。運動もサプリメントもカウンセリングも漢方もその他すべて、おまけのようなものでしかないのです。これは精神医学にかぎったことではありません。たとえば、

 

なぜあなた方が癌になるのか、あなた方は知らないのです。

なぜあなた方が心筋梗塞になるのか、あなた方は知らないのです。

なぜあなた方が精神病になるのか、あなた方は知らないのです。

なぜあなた方が糖尿病になるのか、あなた方は知らないのです。

なぜあなた方が膠原病になるのか、あなた方は知らないのです。

なぜあなた方の軽い感染症が治らないのか、あなた方は知らないのです。

そしてもちろん、医師も看護師も薬剤師も知らないのです。

 

まさか人間は誰でも癌になると思っているのですか?

まさか癌に抗がん剤は効くと思っているのですか?

心筋梗塞の元である粥状動脈硬化が、コレステロールのためだけだと思っているのですか?

理由がはっきりせず精神的問題を起こすのは、脳が原因だと思っているのですか?

膠原病などという病気が本当に存在すると思っているのですか?

あなたの風邪やインフルエンザが治らない理由をご存じないのですか?

 

知らない人に福が訪れることはありません。あなた方が知っている医学や看護学はほとんど嘘で塗り固められていることを知らないのです。そのような教科書を読むことがほとんど意昧がないことを知らないのです。市販の「家庭の医学」を読むことももちろん意味がなく、ある病気について書かれている基本的参考書を信じることももちろん意味がありません。

あなたがもし健康になりたいのなら、まずはあなたを巣食う洗脳を完全に打破することです。

人間は「知る」という能力に限界がありません。記憶力に限界があったとしても、好奇心や理解力に限界はないのです。しかし人間ほどに自分が信じてしまったものを捨て去るのが難しい生物は他にいないでしょう。本能や生存心よりも刷り込まれたものにすがるのが人間なのです。

教育、勉強というのは最大の修行です。誤解を恐れず言えば、幼少期に自ら学ぶことの重要性がどれだけ身につけられたかで、勝負が決まっているといっても過言ではありません。厳しすぎても優しすぎてもダメであり、近年の教育はまったく人間を強くするための教育とは言えないようです。

現代において厳しいことを勧める人間とは、患者さんの苦しみを理解しない人だそうです。

しかし、それを正直に指摘できない現代社会にこそ問題があるのではないでしょうか。苦しみや悩みがなければ、人間の成長も精神症状からの卒業もありえないでしょう。

常に注目すべきは向精神薬の禁断症状に苦しんだ人たちの成長です。向精神薬を抜くということは麻薬や覚醒剤を抜くことと同義であり、それを成し遂げるには相当の根性と知識を要します。つまり向精神薬と闘うこと、断薬に取り組むことはそのまま修行になっていて、それをなし終えた患者たちはちょっとしたことでは動じないのです。「あの禁断症状に比べれば、こんなこと楽勝」と考えることができます。これは修行が厳しければ厳しいほど、精神症状が改善する理由と符合します。

 

以上、抜粋終わり

上記の著者の言葉は、

厳しい内容ですが、

しかしそのとおりだと思います。

我々は自分や家族を守るために、

まず知識武装しなければなりません。

何故ならこの世界は嘘の情報で、

我々を洗脳しているのですから。

知識を得て、

まず自分自身でマインドコントロールを解かねばなりません。

それがあなたの未来を開く第一歩となります。

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