今日はこのテーマの最終回です。
著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。
精神科不要論
ここまで書いてきて、筆者は精神科を不要だと思っているのかと考える人は多かろう。
結論をひと言でいえば、精神科は不要であると断言できる。
しかし、これはある意味矛盾している。「まともな精神科医などいないし、いたとしても存在価値がない」と思っているのに、「まともな精神科医のかかり方」を書いているのだから。ただ私は、前者は目指すべき目標として、後者は妥協的な対策として示している。
これまでに示した詐欺、人権侵害、被害、ウソ、非科学性は当然のこと、薬物による依存や禁断症状、不可逆的な脳損傷はもはや犯罪といっても過言ではない。
精神科ではだれも治らないので、クリニックでも病院でも患者はたまっていく一方である。この事態は、だれも治さないことによって通院患者数を増やし、収入を増やそうと企んでいるに等しい。社会が病んでいるから精神科に患者がたまるのではないということをいまだ一般人はだれも理解しようとしないようだ。
これらの罪はさておいても、そもそも精神とか心とかの問題は、人間的な問題であり、社会的な問題であって、医学の問題ではない。それを医学の問題であるかのようにすり替え、自分たちの利益へ誘導した精神医学界の策略は、奸智のひと言に尽きる。それとともに人々が根本的な問題から逃げ続け、精神科という見せかけの看板と専門家に問題を丸投げしたともとらえることができる。
家族の問題を真剣に考えて取り組む人間は日本にはいなくなってしまった。個人的悩みや心理的問題を、まるで教会や何かで啓示を与えられたり、聖母に癒されにいくかのような気分で精神科を受診するのである。
しかし、そうしたことはそもそも医学が負うべき仕事ではない。人々が普遍的に望み、かつ絶対に求め得ぬものを医療という名のもとに誘導したからこそ、今の精神医療被害の数々は引き起こされることとなった。
だから精神科などというものはこの世に存在してはいけない。これが存在するからこそ、人々は甘いものに群がる蟻のように精神科に集まり、最後は踏みつぶされていく。
最初から「精神科などない」「精神を治療してくれるような都合のいい組織も科学もない」という前提に立てば、人々は必ず自分で立ち直り、生きていくカを持つものである。
もし一人でそれが無理だとしても、恥も体裁も乗り越え、人々の協調の中で改善策を見いだしていく。
精神科治療を全面否定するなら、代案を示せと各所で必ず質問される。
だが、代案という観念自体がすでに精神医学に洗脳されていることに、ほとんどの人は気づいていない。
精神的問題の解決に抜け道などあろうはずがない。素人が考えてもわかるように、解決策とは、原因の除去、トラブルへの取り組みしかあり得ない。
少し別の視点で考えよう。多くの人が懐かしむ戦後から高度成長期にかけて、精神科などというものはほとんど存在しなかった。街中にメンタルクリニックなどなく、精神病院は山奥で怖い場所だというイメージが強かった。大学病院でも総合病院でも精神科医などという人間自体が変人で、むしろ精神科医たちこそ精神病ではないかという雰囲気が強かったのである。
ではそのような時代、人々は精神的な問題や社会的な問題にどう対応していたのか。
想像すれば明らかだし、その時代を生きてきた人に聞けばよい。トラブル、喧嘩、深く激しい議論などは当たり前の中で、徹底的な人間ドラマの中で精神的諸問題が解決されていたのである。
それが一九九〇年代後半から変わってしまった。CMと新聞広告によって「精神科は怖くない」「精神科は精神を治してくれる」という誤ったイメージが浸透してしまった。これを覆すのはかなりの困難である。何せ全国民が洗脳されているのだから容易なことではない。
人々は安楽しか求めていないし、何がなんでもトラブルを避けることだけを考え、臭いものには蓋をして学ぼうとはしない。「体裁」「プライド」「しがらみ」「周囲の目」「踏み込み」などばかりを気にして、その結果、問題に対して正面から取り組むのではなく、ごまかしに走ろうとする。そのごまかしこそが精神科であり、精神薬である。飲めば気分はよくなるかもしれないが、それは覚醒剤を飲んで逃げているのとまったく同じことだ。
だからこそ何度でも言おう。精神科は存在してはいけない。
本質的に考えて、精神科の改善を目指すこと、薬の良き利用法を試行錯誤することなど、いい人のふりをして世の中をより混乱に陥れているのと変わりないのである。
精神科さえ存在しなければ、人々は自分で精神的諸問題を解決するのだ。
以上、抜粋終わり
著者は精神科は不要とばっさりと切り落としている。
私は不要とまでは言わないが、
ただ治療方法はこれまでの薬物療法を検討し直す必要があると言えるだろう。
製薬会社の利益のためではなく、
本当に患者の側から考えた、
治すにはどのような治療が望ましいのかを。