今回は向精神薬で救われる人はいるのか?というテーマを2回に分けてお伝えします。
著書『心の病に薬はいらない!』から下記抜粋します。
気づかないうちに詐欺にかかっている?
「向精神薬で救われている人はいるか」という愚問が存在します。
結論から言うと、まったく救われている人はいませんというのが当然の答えですが、これには繰り返し述べているように知識が必要になります。
一つは精神や心にとって(というより医学にとって)の治癒とは何か、という問題。
一つは精神疾患が存在しないと言い切れる理由をどこまで理解しているか、という問題。
一つは向精神薬とは科学的、分子学的にどのような物質であるか、という問題。
一つはプラセボ効果とは何か、という問題。
一つは向精神薬がそのプラセボ効果以下であるにもかかわらず、効いていると感じる人が一部いる、という問題。
一つは救われたという言葉がいったい何を意味するのか、という問題。
これらを見たうえですべて問題点を指摘できるようでなければ、向精神薬を抜くことはできません。もし当事者が問題を指摘できないくらい向精神薬で破壊されているなら、家族がこのことを理解しないかぎり抜けることはありません。
まず一つ目からいくと、精神医学で言う「寛解」(病気の症状が一時的あるいは継続的に軽減した状態)という言葉は、精神医学が治せないことを隠すための言い訳にすぎません。治せないだけならまだしも、悪くしてそれを隠すからさらに始末に負えないのです。
ここでは治癒の定義が必要になりますが、当然ながら治癒とは薬をやめて病院から卒業することを意味します。これ以外のものを治癒とは呼びませんし、少なくとも私は認めません。
いったい精神医学の中で治癒をもたらしているものがどれだけいるかと言えば、ゼロかどうかはわかりませんが、かぎりなく少ないとしか一言えません。軽い症状などの場合、たとえ精神医学であろうと治ってしまう場合もありますから、そのあたりも除外する必要があります。また当事者にとっては苦痛以外の何物でもないとしても、家族や精神科医にとって都合がよければそれで寛解とされてしまう場合もあります。
たとえば虐待してきた親に、反逆して暴力をふるう→親が精神科医に受診させる→薬で何もできなくさせる、というのも寛解とみなされてしまいます。
二つ目は当事者にとって最も重要でしょう。
なぜ精神疾患が存在しないと言い切れるのか?私のあの苦しみは何だったのか?という質問は多くされる質問です。
まず精神症状の普遍性について理解しなければなりません。不安や強迫やうつから、果ては錯乱に至るまでその症状は人間として理由があるものであり、ほとんどが社会的なものだという理解が必要です。予想不能な出来事や自分の嫌なことが起きればパニックを起こすのは当然ですが、精神医学や心理学に洗脳されている人々は、それが異常で「疾患」であると考えてしまいます。
強迫観念も同じで、頑固、信念、執着、妄執など、似たような意味に置き換えることができます。人間が知恵や知能を持っている以上、こだわりを持つのは必然でしかなく、そのこだわりが変わるときとは、大きすぎる外的変化が起きたときか、こだわりを持つ人が負けたときくらいしかありえません。
人格障害という言葉もありますし、確かにそういう行動形態は存在するでしょう。しかしこれも言葉を変えることができます。サイコパス、トラブルメーカー、自己中、わがまま、ナルシストなど。これらが「良」と言っているのではなく、これらを疾患だととらえることが間違いだと言っているのです。
気分変調も同じです。誰にでも必ず存在するものですが、現代ではそれがむしろおかしいかのように洗脳されています。
PTSDという病名もあります。確かにその状態は存在するかもしれませんが、そうするとやはりほぼすべての人間がPTSDになります。トラウマを抱えていない人間などこの世にはいないでしょう。戦争体験者、被災、犯罪被害、いじめ経験、パワーハラスメント、DV、虐待その他諸々、今の世の中にそれらを何一つ体験せず生きてきた人がどれくらいいるでしょうか。
書けばきりがないのですが、つまりこれらのことは精神的苦痛がないと言っている わけではなく、疾患化することの無意味さと科学性や根拠のなさを指摘しているのです。その精神的苦病はあくまで精神的苦病でしかなく、精神的諸問題でしかありません。
「〜病」でも「〜障害」でもないのです。
医学的な根拠がなく科学性がないのなら、それを医学で治せるということはありえません。そして治せないのに人々は治せると勘違いして病院に通うわけです。それらを疾患化する理由はすべて精神医学の利益のためであり、「殺人」という目的のためでしかないのです。
三つ目の向精神薬がどのような物質かについては第4章を参考としてください。
以上、抜粋終わり
もともと精神疾患は、
病気と定義したところから商業化されました。
本来精神の問題に対して病気などないのです。
一点の問題に”とらわれ”てしまい、
抜け出せなくなってしまったため、
心や体がトラブルのシグナルを発しているわけで、
その”とらわれ”から抜け出せれば、
問題は解決してしまいます。
その人の執着と言っても良いかもしれません。
手放さないのですから。
そしてその問題は、
その人自身が解決すべき、
人生の課題なのです。
その認識と心構えを持てたとき、
解決の糸口が見つかります。
病気と捉えるのは、
そこから逃げたくて、
その方が問題と向き合わずに済むため、
心地良くなるからです。
人生は常に自分との闘いです。
自分に勝てなければ前に進むことはできないのです。
その自覚を持たない限り、
前に進むことはできません。
うつ病から脱出したいのであれば、
前に進むしかないのです。