うつ病からの脱出ー親の詐欺的行為→「心的外傷後ストレス症候群(PTSD)」 1-

このエントリーをはてなブックマークに追加

今日からはいわゆるトラウマについてです。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

トラウマは人生の原動力なのに…
 PTSDという病名もある。確かにその状態は存在するかもしれない。しかしそうするとやはりほぼすべての人間がPTSDになる。
 トラウマを抱えていない人間など、私は一人もみたことがない。戦争体験者、被災、犯罪被害、いじめ経験、パワハラ、DV、虐待その他もろもろ、日本にそれらを何一つ体験せず、ぬくぬくと生きてきた人がいったいどれくらいいるのか。
 私には一人もいるとは思えないし、であれば日本人はみなPTSDと診断され、治療対象となる。フラッシュバックの一つ二つ、私だって持っているくらいだ。
 人間は皆何かしらのPTSDかもしれないが、大半の人々は精神科医になど通わなくても、自ら治癒してきた。一人で治癒できる人は少ないはずで、治癒できる人は家族や友人の支えがあって、それが何よりの癒しや心理治療となって改善したのである。
 とすればPTSDが顕在化する患者とは、何かしら家族や友人関係に問題があるか、家族を亡くしている人に多いということがわかってくる。
 実際、重いPTSD患者の場合、虐待など何らかの家族間題があるか、いじめなど強い排他的ストレスを経験して、かつ友人などいないものばかりである。
 PTSDにおいでも存在自体は普遍的であるということを忘れてはいけない。そしてそれを治すことができるのは、クサイようだが人間の愛情や友情だけである。もっといえばそのトラウマを治すべきなのかどうかをよく考えねばならない。
 古来よりほとんどの人はトラウマを抱えながら、そのトラウマをばねにして人生の原動力としてきた。長期的、継続的に何かを成し遂げてきたものは、みな何か自分にとって嫌な思い出をばねにして動いているものである。
 残念ながら精神科医は癒しの技術など教わらない。そんなものは教わって身につくものではないし、そもそも教えられてもいない。
 教えられているのはただひたすら「頭がおかしい」(と彼らが思っている)人を、薬で鎮静するというその一点だけである。
 しかし、決して薬ではPTSDなど治りはしないのた。治っていると錯覚するのは、考えそのものを消し去るように薬を投与されているからで、そのために大量の薬を必要とするわけである。
 記憶の問題自体は先送りしているので、一生薬を飲み続けない限りフラッシュバックは再発しかねないというリスクを負う。つまりはここでも一生薬を飲むべき顧客が誕生することになる。トラウマやフラッシュバックやPTSD幻聴を消す代わりに、多くのものを失ってもいることに一般人は気づいていない。
 こんな治療を勧める精神医療界など、PTSDにおいても詐欺的としか私には感じられないのだ。
 もちろん私はすべての患者に対して愛を向けるほど人間ができているわけではないし、そんな治療を行なう気など毛頭ない。それは家族であり伴侶であり親友の仕事である。私も家族や親友のためなら薬を使わず、相談にのってできるだけのことをするだろう。
 医師としてできることはその必要性を告げることであって、場合によってはよい心理カウンセラーを紹介することくらいである。少なくとも投薬することではない。

精神科医と親による「共同虐待」
 PTSDを考える上で避けては通れない議題、それが虐待だ。
 精神医療界では医療者のほとんどに、患者が虐待を受けていたという認識が欠けている。親が子どもを支配し虐待を繰り返している例は枚挙にいとまがない。
 虐待といってもわかりやすい虐待ばかりではない。支配、過剰なまでの干渉、ネグレクト、薬によるコントロール、これらのすべては虐待というより「隠れ虐待」と呼ぶべきものである。すべてを虐待という言葉ですますには無理があることも確かだが、患者の他部的傾向と、親の虐待的行為とが複雑に絡み合っている、と考えるのか妥当であろう。
 私は子どもが不都合な状態に陥ったとき、精神科に連れていき薬を飲ませることを「精神科医と親による共同虐待」と呼んでいる。この条件から外れる治療行為とは、子ども本人が治療を必要として受診した場合のみである。
 子どもはすべて発達の過程にあり、その過程の中で精神的に不安定となったり、おかしな行動をとることは当然ながらだれにでもあるのである。
 にもかかわらずその「おかしさ」に耐えられない親は、自分たちで考え、親として行動しようとするのではなく、精神科の門をたたいて、自分の子どもがおかしいのかどうかを判断してもらおうとする。
 たとえ子どもが暴力を振るおうと、不安でパニックになろうと、変な妄想を持とうと、それは子どもながらの必然性があるのである。精神科に連れて行こうという行為は、他人や薬によって矯正してもらおうとすることに他ならず、親の責任放棄に他ならない。
 たとえば子が虐待に曝されてきた場合、子どもの親に対する憎しみは深いがゆえに、常軌を逸する妄想が生じるが、親は自分が虐待してきたことに気づかなかったり、ひたすら隠そうとする傾向がある。
 精神病と診断されるのも投薬されるのも本来は親であるべきはずなのに、親はそれだけは避けるべく(バレないように)子どもに対して優位的な行動をとるわけである。その結果が受診であり、先に子どもを精神病に仕立て上げるということであるともいえよう。
 つまりこれは親が詐欺行為を働いているに等しいのだが、PTSDという診断の裏にそのような事情があることを知る者は少ない。

以上、抜粋終わり

私は医療業界の方は上記に任せるとして、

患者側の問題を提起したい。

PTSD(トラウマ)は確かに誰にでもあると思われる。

しかし中にはそのトラウマに異様に執着し、

自分はこの問題があるからダメなんだと思い込み、

なかなか手放さない人もいる。

そんな人が精神科や心理カウンセリングを受けに来るが、

いかんせん、自分で手放す気がない人が多いので、

なかなか良くならない。

自分では治したと思って治療に来るようだが、

本人の無意識の中に、

そこに依存している部分があり、

そのため一方では絶対に治らないという思い込みを作り、

そのトラウマを手放さないのだ。

私はそのような人を何人も見てきた。

結局その人たちは自分を変えたくないのである。

そこに都合よく診断名を付けてもらえれば、

医者が診断しているから、

もしくは自分で診断して、

逆に安心してしまい、

そこに自分を定着してしまうのである。

もう治らないと。

そんな人はどんな優秀な医師や心理カウンセラーが対応したところで、

自分が治す気がないのであるから、

治るはずがない。

ただ私は治そうと努力してますよ、

というジェスチャーをしているにすぎない。

つまり、PTSDについては弱い自分に依存してしまう、

患者側の方にもかなりの問題があるということだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です