うつ病からの脱出ー知っておきたい、精神医学の歴史と計画 3ー

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今回は同テーマの第3弾です。

著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。

差別精神・迫害思想の虜

精神医学者や心理学者たちは、人々をコントロールすることに心血を注いできました。彼らはまさに差別精神、迫害思想の虜なのです。歴史上有名な精神医学者、心理学者を一部紹介していきましょう。

英国の心理学者であるハーバード・スペンサー(1820〜1903)は、1870年に「裕福な人々」のみ天国に行く権利を有する、と公言しました。彼は自然淘汰を人間にも適用するように提言しました。つまり、政府は、貧困者や弱者、不適格者に対し何ら助けを差し伸べるべきではない、というものです。スペンサーは、「価値ある人々の子どもの邪魔になる」という理由で、貧しい人々の子どもを援助することは社会に対する重大な犯罪であると主張しました。彼はこれを「進化的心理学」と呼びました。これらは社会的な排除、虐待、迫害の温床となりました。

アメリカの心理学者であるジョン・B・ワトソン(1878〜1958)は行動とは外的刺激の結果であり、その刺激を作り出す人によってコントロールされるという理論を作り出しました。彼は子どもがもっとも望ましい結果を出すためにと称して、親に対してこのようにアドバイスしています。「決して子どもを抱っこしたりキスしたり、膝に座らせてはいけない。やるべきことは子どもがお休みを言った場合にのみ、おでこにキスすることである。子どもをかわいがりたくなった場合、その母親の愛情は危険な方法である」。つまり、愛ではなく恐怖やコントロールによって子どもを統制せよという意見でした。

また彼は12人の乳児と適切な環境があれば、才能、好み、適性、先祖、民族など遺伝的といわれるものとはまったく関係なしに、医者や芸術家、泥棒までさまざまな人間に仕立て上げることができると唱えました。

彼が自分の子どもであるアルバートに実験を行なったのは有名な話です。

白いネズミを見せ、子どもが触ろうとすると、その背後で鋼鉄の棒をハンマーで叩いて大きな音をたてました。実験前アルバートはネズミを怖がっていなかったのですが、実験後、アルバートはネズミだけではなく、ウサギや毛皮のコートなどネズミと似た特徴を持つものにまで恐怖を抱くようになります。この実験から、大人の抱く不安や恐怖も、多くはこれに類似した幼年期の経験に由来している、とワトソンは主張しました。ワトソンの息子は、20代で自殺しました。

精神医学の教科書には必ずクレペリン(1856〜1926)の名前が出てきますが、彼は精神的に混乱した人々(それを決めるのも勝手な主観です)を「国家に対する重荷」とみなすとともに、精神科医を「絶対的な支配者」と定義しました。彼は病気は遺伝し、狂気は断種を行なうことで伝染を食い止めることができるとし、その証明されていない理論をもとにして、「遺伝精神医学的家系調査」を発明しました。彼は精神障害の分類システムを初めて生み出し、躁病やパラノイア、早発性痴呆(後の精神分裂病)という言葉を使いました。彼の理論は後に優生学に結びつき、ナチスのホロコーストなど虐殺キャンペーンの基礎を築いていくことになります。

 

電気けいれん療法の誕生

インスリンショックとは、てんかんやけいれんを起こす患者は統合失調症に定義されたような症状を起こしにくいという論理(これさえも証明されていません)を参考に、インスリンを大量投与して現代的にいう医原性低血糖状態を作り出し、てんかんと同じ状態にすることで「精神病」を「治療」しようという試みです。これは死亡率が非常に高く、当然ながら何の解決ももたらさない試みですが、1900年代前半までは頻繁に行なわれました。

現在、電気けいれん療法は歯や背骨が折れたりするほどのひどいショックで大きな叫び声をあげる人々が多いため、その存在を隠す目的で死刑囚のごとく麻酔と筋弛緩剤を投与して行なわれています。しかし、かつてほどの超高電圧の代わりに長時間の高電圧の電気が与える脳への損傷は、今も昔も変わっていません(電気ショックを与えられた人々は記憶が頻繁に飛びます)。

1938年、ローマ大学の精神病学部長のウーゴ・チエルレッティは、犬の口と肛門に電極をつけて電気ショック療法を与える実験を始めました。その犬の半数は死にました。

チェルレッティは屠殺場を訪問し、食肉処理業者が豚を失神させるために電気ショックを与え、喉を切りやすくする様子を観察。それに着想を得たチェルレッティは豚に対するさらなる実験を行なったあと、その方法を人間に適用しました。彼が最初に人間に行なった電気ショックは、同意なしに行なわれ、その被験者であった囚人は「もうこれ以上しないでくれ! 死んでしまう!」と叫びましたが、チェルレッティはただ電圧を上げるだけでした。彼はこう述べています。

「もしも電気ショックによる疑似的な屠殺行為、この予期せぬ幸運な出来事がなければ、ECT(電気ショック療法)はいまだ開発されていなかっただろう」

チェルレッティの生徒として最初のECTの目撃者となった、ドイツの精神科医口タール・ガリノフスキーは妻にこう言いました。

「私は今日ひどいものを見てしまった。もう二度と見たくはない」

しかしガリノフスキーはその後、ECTに関するもっとも活動的な推進者の一人となりました。彼は独自のECT機器を開発し、フランスやオランダ、イギリスにその機器を紹介し、後には米国にも紹介しました。ECTの効果について彼はこう述べています。

「記憶や批判、理解といったあらゆる知的能力が低下する」

そして1950年に彼が記した教科書『ショック療法』の中ではこう述べられています。

「完全に患者の方向感覚を失わせた医師は、ECTの価値にたいへん満足する」

日本中の権威ある精神病院で(もちろん大学病院も含みます)、今でも毎日この電気ショック療法は日々行なわれています。

以上、抜粋終わり

上記の精神医学の研究者たちは、

普通の神経の持ち主とは思えませんね。

この人たちの方が精神異常者のような感じがします。

でも電気ショック療法って今でもやってるんですね。

ドラマの世界だけかと思ってました。

現実の方がもっと怖いかもしれませんね。

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