今回は同テーマの第8弾です。
著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。
飼い殺しにされてませんか?
もっとも人を精神的に病気たらしめる思想の一つは、「人に理解してほしい」という願望であるといえるでしょう。これは患者と呼ばれる人々を観察する限り、もっとも多い傾向なのです。
世界中どこの医療機関、医療施設であってもそれを満たそうとし、家族はそれを医療者たちに任せようとし、患者はそれを執拗に人々に求めようとします。この永遠に得られない解を求めようとするがゆえに、人々は精神的苦痛を深めていくのです。はっきりいってこんなものは医療機関が患者に与える代物ではありません。そんなものを医療機関に求めるのは、要するに「なんでも医者にお任せ」思想の権化ということです。
患者の多くは薬を減らしてほしいと望みますが、ゼロにすることを望まない人は多いのです。しかしその薬はもともと覚醒剤や違法ドラッグと大差なく、さまざまな副作用と依存と禁断症状を呈する薬であることを理解しましょう。精神薬も使い方次第とか、精神薬を必要とする人もいるとか、安定する人もいるとか、そんな屁理屈を並べるのはもうやめましょう。目の前の問題を一時的に誤魔化すために精神科や精神薬に頼り、問題の本質と向き合おうとしない限り、問題の解決など永久に不可能です。それがすでに精神医学による洗脳であり、生殺しであり、飼い殺しであることに気づくことができなければ、一生牧畜され飼い殺されていくしかないのです。本当に皆さんはそれでいいのですか?
皆さんが自分の心を強くしたいと願うなら、人に理解されたいという願望を打ち消すことです。それは主張するなということではありません。理解しあえる人は多くの説明がなくても相互に理解しあえるものなのです。そして薬など物質に頼るのをやめることです。やや宗教的に書けば、理解を求める心やモノに執着する心が煩悩と苦痛を生むということでありましょう。
あのとき薬さえ飲まなければ
「あのとき薬を飲まなかったら多分死んでいた」
これは重症薬物依存患者の多くが訴えることですが、結局そこで薬を飲んだことが無間地獄への入り口だということが見えてきたでしょうか?
精神科にかかる患者はすべて詐欺の被害者です。それは間違いないでしょう。しかし自分の意志でかかったなら、それは詐欺に引っかかっただけなのです。ある人が金銭詐欺に引っかかったのをテレビで見た皆さんはどう思いますか?「だって自分も下心あったから引っかかるんでしょ」「もうちょっと考えろよ」「そんなおいしい方法あるわけないだろ」と多くの人が思っているのです。精神医学に引っかかった人も、まったく同じではありませんか?
ではその詐欺を振り返り、被害者意識から決別し、有意義な人生を歩める人はどうなのでしょう?その詐欺にかかった己の甘さを恥じて反省し、完全に精神科や精神薬と決別しうる者だけが、被害者という枠から逃れることができるのです。真の意味で精神科から卒業することができるのです。
ここでは一つの論文を紹介しておきましょう(『未治療大鬱病の特徴と重要性』American Journal of Psychiatry 152)。
うつ病で薬剤投与を受けた人と受けなかった人の転帰を6年におよぶ期間、追跡調査した研究では、うつ病の「治療」を受けた人は、受けなかった人に比べて「主たる社会的役割」の休止を被る可能性が3倍高く、「再起不能」に陥る可能性も7倍近く高いのです。研究者は「ここで評価されている未治療の人たちは、(治療を受けた人に比べて)軽度で疾患が継続する期間も短く、治療が施されなかったにもかかわらず、長期的には社会経済的地位における有意な変化を示さなかった」と断じています。
うつ病という名前の愚かさはさておき、医学的に治療すればするほど悪くなるという論文はこれ以外にも多数存在するのです。
以上抜粋終わり
自分を理解されたいと思うのは、
誰でも同じですよね。
私もそうです。
しかしその欲求が強ければ強いほど、
苦しむのは確かです。
ご存知のように、
人は他人をそんなに理解していません。
ほとんど無関心と言っても差し支えないか
もしれません。
それほど人は自分にしか関心がないのです。
それゆえこの欲求を満たそうと、
七転八倒するわけですが、
その欲求が満たされることは、
極めて少ないでしょう。
だから自分で自分を愛する、
自己愛が必要になるわけです。
自己愛が満たされている人は、
他人に評価されようとは思いません。
ですから見栄もはらないし、
自分を過大に見せようともしません。
自己愛=セルフイメージとも言いますが、
このセルフイメージを日々高めていれば、
他人に理解されようとは思わなくなり、
自分のやることだけに集中することができるようになります。
だから日々セルフイメージを高めるために、
努力し、
頑張っている自分自身を褒めまくりましょう。