今回は同テーマの第3弾です。
著書『大笑い!精神医学』から下記抜粋します。
発達障害の次の“狙い”は引きこもり?
精神医学は困っている人に近づき、こうささやきます。
「それはあなたのせいではありません。病気なのですから、仕方ありません」
「でも大丈夫。この薬を飲めば、きっと良くなりますから」
「薬を飲むことを怖がってはいけません。正しく使えば問題はないのですから」
そして、支援を得るためには「障害者」のラベルが有効であると、患者やその家族を説得するのです。障害者のラベルがつけば、公的な支援が得られるからです。このちょっとしたお金やシステムに、ほとんどの人がコロッとダマされてしまいます。
困難を抱える子どもたちがいるのは事実でしょう。そして、親も困っていることも時に事実でしょう。ただ、やはりこの間題を解決するのは、コミュニケーション、そしてコミュニティなどの人間関係や社会関係なのです。
にもかかわらず、そこに市場拡大を狙う精神医療産業がつけ込み、根拠のない診断名と薬を売り込むことに成功したわけです。今や、発達障害は一大産業となりました。ADHD治療薬は順調に売上げを伸ばし、さらには製薬会社をスポンサーにしてADHD専門の学会まで立ち上げました。
そして、彼らが次に狙うのは引きこもりです。これには、発達障害で成功したのと同じ手口を使います。引きこもりを抱える家族は本当に困っています。そこに精神科医はつけこみます。引きこもり=精神障害とし、障害者として取り扱い、公的な支援を得ようというメッセージを入れ込みます。引きこもりの子に対して親が通院し、投薬させ結局さらに引きこもりになるというケースは数えきれません。どうか結果を正直に見てください。その「治療」とやらで良くなった子どもは、この日本にどれくらいいるのですか?
私が「発達障害」を重視する理由
精神医学は詐欺ばかりです。発達障害についても三重の詐欺があります。
第一の詐欺-そもそも病気として取り扱う必要さえない状態を病気と仕立てあげる。
第二の詐欺-原因やメカニズムが科学的に証明されていないのに、否定された仮説をいかにも「事実」であるかのように宣伝する(例・発達障害は脳内の○○ホルモンが原因)。
第三の詐欺-理論上の説明では上記のような仮説を持ち出しながら、臨床現場ではその仮説とはまったく整合性のないチェックリストを使用して診断・投薬する。
この三つの詐欺は、どの精神疾患でも同じように当てはまります。
しかし私が特に発達障害を重視するのは、私自身が発達障害という間違った概念を広めてしまったという負い目もありますが、やはり子どもが主体であり、彼らに選択権がないということがあげられます。「大人の発達障害」なんて概念はもう愚かの極みであり、論ずるにさえ値しません。
現代人の思考法のもっとも大きな問題の一つに「反対学のなさ」があります。つまりある物事が存在したときに、それを肯定する論理と否定する論理が存在するのですが、日本人はそれ自体を考慮しないということです。相反する二つの論理を見比べて間違っているほうを選んでしまうのも問題ですが、それ以上に反対学という見方さえ知らないのであれば、いつどこででもどんな詐欺にでも引っかかってしまいます。
これは精神医学に限ったことではありません。逆にいえば、この見方を身につけていればいつでも本当の背景、本当の事実は何なのか、どこにあるのかを常に探究することができます。
「発達障害」の子どもを救うために
非常によくされる質問に、「友人もしくは友人の家族が精神科にかかり、精神薬を飲んでいるのだが助けたい。どうすればよいか?」というのがあります。答えは、基本としてはほっとけです。これまで前述したようにその人間が当事者で大人であれば、洗脳され飼い殺されている限り、何を話したところで無駄なんです。話せば話すほど、事実や客観性に基づいて説明すればするほど、相手は正当化と逃げと被害者意識に走りますから。これは決しておかしいことではなく一つの精神的メカニズムであることを知らねばなりません。
しかし当事者が子どもの場合はそれだけではすみません。まだ自分ですべて生きていくことができないからこその子どもなのです。ですから何かしたいと思う人がいれば、否定的な資料一式そろえるだけそろえて、親に手渡すことです。ここでも優しくしてはいけません。相手が自分で有利であるかのように錯覚するからです。実際あなたはここで資料を手渡したら、その先は結局親の気づきとモチベーションがすべてを決するのです。
まずは気づいている親、疑念を持っている親、その子どもから助ける、これが基本です。そういう人だけでも日本には何十万人もいるのですから。その人がもし精神医学や精神薬から抜け出せば、あなたが説得するよりも説得力がある人になるでしょうし、助けになるでしょう。これほどの分野でも同じ話であり、現状の日本において全員を助けるなどというのは夢物語でしかない状況なのです。ひどい親であれば自分の立場を守るためには精神科医なみに手段を選びません。
何よりも精神科医に子どもを連れていく親は、虐待に等しい支配親、コントロール親、毒親なのだという風潮を多くの人が認識し、子どもの問題に関しても自分たちやコミュニティで解決していこうという気持ちを起こさせることが大切なのです。
以上、抜粋終わり
私の子供の頃は、
まだ今みたいに、
日本の精神医学が発達していなかったので、
精神病にされなくてよかったと思います。
今なら注意欠陥多動性障害となってしまうでしょう。
私の小学校低学年の頃は、
良く先生の話を聞いていなくて、
担任の先生や祖母から怒られたものです。
しかし子供は本来自分の興味のないことには、
注意や意識を向けません。
当たり前のことです。
少しボーっとしていていようが、
それが大人になるまで続くような人は見たことがありません。
年齢とともに社会になじむようになっていくのです。
ひょっとしたら、
子供から見れば、
今の社会に魅力がなさすぎるのかもしれません。
だからゲームのようなバーチャルの世界が流行るのかもしれません。
今の社会は子供に誇れるような社会でしょうか?
私たち自身がもう一度見直す必要があるかもしれませんね。