うつ病からの脱出ー精神科は、やりたり放題! 6ー

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今日は第6弾です。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

10日間の医療保護入院
 もっとひどいケースもある。
外資系証券会社などで働いてきた20代後半の男性が、ある日突然、精神科病院に入院させられた。手足を拘束されて薬を多量に授与され、電気けいれん療法ECT(いわゆる電気ショック)を何度もかけられ……。この強制的な入院の前後に、彼を診察した複数の医師は証言する。「彼に精神疾患はない」。こんなフィクションのような出来事が現代の日本で起こったことを、あなたは信じられるだろうか。
 次に掲載するのは本人による手記である。

 私の体験談は、2011年12月8日の「読売新聞」医療ルネサンス欄に掲載されました。これは現在の精神病院で行なわれている医療保護入院についての初めての報道だったのではないでしょうか。多くの方々が「精神科医の診断は正しい」と思わされている現状を少しでも変えることができればと願って、再びここに事実を書くことにします。

 2009年2月、当時、私は耳鼻科的な疾患が原因であるめまいと頭痛に悩まされていました。
 ある日突然、119番通報もしていないにもかかわらず、救急隊が私の自室へ入ってきました。「どうしましたか?」という救急隊員の親切な問いかけ。私が精神医療被害に遭うなかでかけられた、最後の心温まる言葉だったかもしれません。
 救急隊員と20分前後の明確な会話をした後、私は自らの症状を告げ、総合病院の耳鼻科への救急搬送をお願いしました。ただ、その救急車には、ことあるごとに警察に対して「(私のことを)訴える!」と言い続けていた母親までもが同乗していたのです。母と私との関係はたいへん悪化していました。兄と私とのあいだのトラブルをきっかけに、それまでも母は何度も私からの被害を訴え、110番通報をしているのですが、通報がひんぱんでなおかつ被害が認められなかったため、警察はまともに取り合わなくなっていました。
 救急車の中で寝ていた私は救急隊員の「病院に着きましたよ」との掛け声とシャッターの閉まる音で目が覚めました。それと同時に救急車の裏ドアが開きました。このとき初めて私は自分で望んでいた病院とは違う場所へ連れて来られたことを悟りました。
 救急車から降りると、紫色の服を着た人たちが10人ほど立っていました。
 その中の一人の男性が「診察室はこちらですよ」と大声で話しかけてきました。私は、その声に反応して、指示された診察室へ向かいました。
 そこには、大柄でニヤニヤとし、髪の薄い男がいました。私は、その場の雰囲気からその男が医師であることを理解しました。その医師には微塵も真剣さなど感じられません。私が、その医師に「ここはどこの病院ですかふと聞くと、笑いながら「精神科!」とだけ答えました。私はこの精神科医を相手にせず帰ろうとすると、医師は「おおっと、ちょっと待った」と笑い、それと同時に紫色の服を着て背後に立っていた男らに通路を塞がれました。
 医師は、「ほら、席に座って、座って」と私に言いました。
「名前は?」「○○です」
「生年月日は?」「昭和〇年の〇月〇日」
「ふだん飲んでいる薬は?」「ボルタレン」
 たったこれだけの問答で医師と私の会話は終わりました。そして、この精神科医がつけた私の診断名は、①「統合失調症」、②「薬剤性パーキンソニズム」、③「アルコール依存症」たったのです。これが、現代で行なわれている精神科医の診断の実態です。
 私の母親は当日の午前中、この病院を訪れ、精神科医に、私の医療保護入院を熱望していたのです。
 私とのわずかな会話の後、医師はできあがったカルテを確認し、大きい注射器を持ち出すと、それを私に向けて「はい、手を出してー」と笑いながら言いました。逃げようと立ち上がった私に、背後にいた看護師らがいっせいに襲いかかりました。このときの精神科医が放つあふれんばかりの優越感と頭皮がむき出しになった剥げ頭は今でも忘れることができません。
 私や、私を押さえつける看護師らとは対照的に、この精神科医は注射を打つことにたっぷりと時間をかけながら、必死に抵抗をして事実を訴える私に向かって満面の笑みを浮かべていました。
 医療機器が出す「ピコー、ピコー」という音と左腕に感じたひんやりとした触感によって、私は意識を取り戻しました。そのときにはすでにECT(電気ショック療法)の準備が整っていました。そして、さらなる注射を打つ準備をしている精神科医。
 こうして私に対する隔離・拘束は2009年2月13日から同月の23日まで行なわれ、隔離から解放されたのはその2日後の25日でした。その間、六回ものECTを受けました。私は、隔離・拘束、そして電気ショックを受けている間に多くの情報を得ることに努めました。私が知った精神医療、医療保護入院とは、ただ単に精神科医らの心・欲望を満たす行為にすぎませんでした。
 まともな会話をもせず、医療保護入院になると、精神科医は自らの患者らを自分の思い描く人格になるまで薬漬けにし続ける。その根底にあるのは、「治そう」という気持ちではなく、自分の思いのままに他人の人格を変えてしまおうという意図以外の何ものでもありません。それに使われたのが向精神薬たったのです。
 私はその後、この精神科医や精神病院を相手取って裁判を起こしました。裁判の過程で、私はこの精神科医の能力、そしてこの精神病院の実態を知りました。
 この精神科医は母親が嘘を言っているにもかかわらず、それをそのまま鵜呑みにして私のカルテに記載をし、私を統合失調症と疑っていたこと。それよりも、さらに驚かされるのは、この精神科医は統合失調症の診断基準さえ知らずに、これまで数千人以上の人々を 診察・診断をしてきたという事実。
 そして、この精神病院、そして理事長はいまなおこの無能な精神科医が統合失調症と診察・診断をした被害者への救済を一切行なっていないのです。

 このように精神病院の措置入院、医療保護入院のさせ方は違法行為であることが多数ある。またこのケースに際しても電気けいれん療法で患者は良くなった、と精神科医は判断しているのだから始末に負えない。
 他にも、たとえばある高齢の老人では、家族とケンカしたことにより、家族によって強制的に精神病院へ入院させられることとなった。その入院理由は家族のいうことを聞かないからであったが、実をいえば財産の横取りであった。これは医療の名を借りた明らかな高齢者虐待であるといえるが、精神科的には「高齢者のほうが病気」なのである。
 資格のない研修医がこれらの強制入院を決定しているケースもある。枚挙にいとまがない。
以上、抜粋終わり

実に恐ろしい話ですね。

きちんとした検査をせずに精神疾患の患者にされてしまうとは。

本当に信じられないような話です。

でも、これが本当だとしたら、

今度は何かのきっかけで、

自分が精神疾患の患者にされてしまう可能性は否定できません。

その時自分たちはどのような対応をすべきなのか?

考えておく必要があるかもしれません。

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